「再生」を意味するルネサンスは、中世の教会支配から人間性を解放した革新的な時代ですが、お手本にしていたのは古代ギリシア/ローマ時代でした。正確にいうと、ギリシアとローマは一括りではなくて、古代ローマがお手本にしていたのは、エーゲ海を中心に栄えた古代ギリシアだったので、ルネサンスの根源は古代ギリシア時代にこそあったとも言えます。
太古から古代まで続くギリシアでは、紀元前3000年頃から青銅器の使用が始まると、オリーブとワインの栽培に適した北部から南部へと、文化の中心も移動していって、古代ギリシア最古の文明と云われているエーゲ文明が生まれました。その中でも南端にあるペロポネソス半島を中心に栄えたミケーネ文明では、アルファベットの原型が確立されることによって飛躍的に文明が発達したと云われています。
古代ギリシアを滅ぼすことになるのは古代ローマ帝国なのですが、同時に古代ローマは、古代ギリシアへの憧れや畏怖から、その文明を採り入れました。特に、神話の神々を題材にした彫刻の数々は、文明の象徴として盛んに模倣されます。
ルネサンスがお手本にした、古代ローマへと継承された古代ギリシアの文明を、継承するだけではなく、見事に発展させたのがミケランジェロです。恐らくルネサンスの人々は、ミケランジェロの彫刻を通して、古き善き古代ギリシア/ローマのイメージを映したのではないでしょうか。
しかも、キリスト教という社会的な規範が現れた古代ローマでは、教会が巧みに彫刻をはじめとする芸術を採り込んでいきます。教会は「完全なる神に似せて創られた不完全な人間は、神に憧れて祈ると共に、創作を通じて“完全なる美”を生み出す芸術家たちに畏敬の念を抱き、教会は彼らを庇護した」のだと、世界で一番小さな国の世界最大級の美術館である“ヴァチカン美術館”の学芸員の話を聞いたことがあります。
実際に、教会支配から解放されたはずのルネサンスになっても、ミケランジェロは度々ローマ教皇の要請によって、ルネサンスの中心地である(伊)フィレンツェでの創作を放り出してローマへと向かいました。
教会からの解放が実現したルネサンス期にあっても、“キリスト教”と“神話”の融合は大きなテーマであり、「聖母マリア」と「ヴィーナス」との融合を目指した、メディチ家主催のプラトン・アカデミーのように、西洋芸術とキリスト教の間には、切っても切れない関係性があるのです。決してルネサンスも、キリスト教を全否定するような風潮であったわけではなく、むしろすべての神々を受け入れる懐の深い時代だったのだと思います。
ミケランジェロは、彫刻・絵画・建築という芸術のすべての分野で才能を発揮して、“神のごとき”と称されていますが、それだけではなく、“神話の時代(古代ギリシア)”と、“キリストの時代(古代ローマ)”の狭間で、新しい“完全なる美”に挑む、“神に最も近い男”として、時代を象徴する芸術家であったのだと思います。
紀元後とはいえ500年も前のことなので、40体程度しか遺っていないと云われるミケランジェロの作品の中から、はるばる日本にやってきた彫刻にも、神々の融合を試みた時代が窺えます。『ダヴィデ=アポロ』(1530年頃/フィレンツェ・バルジェッロ国立美術館所蔵)と名付けられたその彫刻は、旧約聖書に登場する“ダヴィデ”と、ローマ神話の太陽神である“アポロ”という二つの名前を背負っています。
ミケランジェロの生前から「どっちだ?」という議論はあったと云われていますが、まさに時代を象徴するタイトルだともいえます。
名前こそどっちつかずな悩ましい感じではありますが、この作品にもミケランジェロの並々ならぬ才能が発揮されています。彫刻に“動き”を表現するため、古代ギリシア彫刻で伝統的なスタイルであった“コントラポスト(体重を片足にかけた姿勢)”を継承しながら、より人間味のある“ひねり”を加えてた上で、見事な均整の取れた肉体を表現しているからこそ、ルネサンスの人々はミケランジェロの彫刻をより身近に感じて、人気を集めたのだと思います。
16世紀初めにローマの葡萄畑から出土した、海蛇に巻き付かれて身体を捩って苦悶する『ラオコーン像』(古代ギリシア時代/ヴァチカン美術館蔵)を見たミケランジェロは、本来は感情よりも威厳を重んじた古代ギリシアの彫刻にはなかった表現に感嘆したとも云われていますが、そのまま自身の作品に採り入れられる力量は計り知れません。
ルネサンス後期になると、ミケランジェロの表現は多くの芸術家たちに模倣され、手足や首をあり得ないほど長く、捻った表現が多用されることになります。
この時代は後に美術史の中で“マニエリスム(技法)”と呼ばれることになるのですが、“マニュアル”や“マンネリ”の語源になったように、謀らずしもミケランジェロの確立したスタイルを超えられないでいる当時の芸術家たちのジレンマが想像できます。それほどミケランジェロは偉大だったとも言えるわけです。
同じくルネサンスの三大巨匠に数えられている、ミケランジェロとライバル関係にあった23歳年上のレオナルド・ダ・ヴィンチとのやり取りで、「絵画こそが最高の芸術だ」と言い放ったレオナルド・ダ・ヴィンチに対してミケランジェロは、「絵画に背中が描けるのか?」と言い返したそうなので、『最後の審判』(1537年~1541年/ヴァチカン・システィーナ礼拝堂)などの数々の名画を描いてはいるものの、ミケランジェロの本籍はやはり彫刻にこそあったのだと思います。
言い争いの結末は「では、彫刻に空気は描けるのか?」というレオナルド・ダ・ヴィンチに軍配が上がったようですが、両者は共に同じ時代を生きて切磋琢磨し合った“万能の天才”たちであったのだと思います。
“万能の天才”であり“神のような”ミケランジェロの追求した“完全なる美”のお手本としての古代ギリシア/ローマ時代の彫刻には、現代に通じる面白い特徴も感じられます。肉体の“美”こそ男性のそれを借りて表現されていますが、表情の“美”に関しては、追求するうちにどんどん顔が女性のようになっている気がするのです。
神々は元々が人間ではないので、そんな邪推は無用なのかもしれないのですが、少しばかりの個人的な違和感など超越した、身震いするような“完全なる美”がそこにはあります。今さら男女の平等をいう必要はないのですが、美しさの前では、男も女もないのだということでしょう。
もし会期中に、上野の国立西洋美術館に行くことがあれば、そんなことも是非ご確認いただければ、面白いんじゃないかと思います。
(了)
『ミケランジェロと理想の身体』
国立西洋美術館
2018年6月19日(火)~2018年9月24日(月/祝)