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【コラム】美術の皮膚(183)マネの黒とマネの闇~強かなモネ~

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1863 Alexandre Cabanel The Birth of Venus
「ヴィーナス誕生」/image via wikipedia

何としても権威に認められたいマネの「官展(サロン)」への挑戦は続く。もちろんマネが目指したのは、その他大勢の「入選」ではなくて、カバネル『ヴィーナス誕生』やミレー『羊飼いの少女』のような「入賞」だ。

Jean François Millet Pastora
「羊飼いの少女」/image via wikipedia

1874年(サロン出品)

Edouard Manet Le Chemin de fer Google Art Project
入選:『鉄道』/image via wikipedia
Edouard Manet 093
落選『オペラ座の仮面舞踏会』/image via wikipedia

もはや『鉄道』(1873年/ワシントン・ナショナル・ギャラリー)に描かれた母娘に「愛情の欠片も見て取れない」という評価はお門違いで、マネには当時のパリでの人間関係がそう映っていたのかもしれないし、万が一にもマネの人間性が「愛なき画家」だったとしても、これこそがマネの真骨頂だと早く誰かが気付いてあげて欲しいくらいだ。

もう一つの出品作『オペラ座の仮面舞踏会』の方は入選すらしていないけれど、こちらも黒でベタッと塗りつぶされた画風が嫌われたのかもしれないけれど、今や「マネの黒」と呼ばれているのだと、審査員の皆さんには教えてあげたい。

実は、マネが官展(サロン)に挑戦し始めて12年目の1874年は、印象派展の第1回目が開催されてもいる。もちろん「印象派」の語源はこの展示会を観た批評家の「壁紙にも劣るただの画家個人の印象」という悪口だから、第1回目は「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」という理屈っぽい名前だった。

マネの周りに集まったバティニョール派の中でもモネが中心になって立ち上げた共同出資会社には30名の若い画家が集まったけれど、マネの名前はその中にはない。

この後、印象派展は計8回開催されるのだけれど、「印象派の父」マネは一度も参加していないというのは有名な話だ。本当の理由はご本人のみが知るものの、官展(サロン)での評価に執着するマネは、余計なことをして自分の公的な評価が反抗的だと見做されないように、距離を置いたのだと云われている。

実際に、翌年にはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の教師に反抗した画学生たちが(バティニョール派にマネがそうしてきたように)アトリエを解放して欲しいと頼んできた時にも、巻き込まれては大変だと無下に断ったようだ。ただ、マスコミはこのマネの心中を知ってか知らずか面白がって、印象派は「使徒マネとその弟子たち」だと、マネを印象派のリーダー格だと風評を流したから、さすがのマネも少しくらいは困惑したはずだ。

お叱り覚悟でいえば、そもそも僕はマネのことを「印象派の父」ではないと思っている。印象派の中心人物だったモネを経済的に援助したり、自分のアトリエを後輩たちに使わせたりしたのは事実だと思うけれど、それだけで「印象派の父」というのはいかにも過分だと思う。逆に、それ以外は何もしていない。もしかしたらカフェ・ゲルボアで酒代くらいは奢っていたかもしれないけれど。

印象派展に協力しないことを旧友のドガにさえ罵られ、印象派たちと疎遠になるかといえばむしろそんなことはなくて、むしろマネの方がモネやルノワールについて行って戸外での創作を学んだりしている。

勝手ながらマネを「印象派の父」として認めにくいのは、美術に関しての影響を、モネにしてもルノワールにしても印象派の画家たちは誰一人受けていない気がするからだ。それどころか、マネの方が流行り廃りのスペイン風絵画から、にわかに脚光を浴びだした印象派風の作品を描き出している。「老いては子に従え」と父が息子から学ぶこともあるだろうけれど、せめて美術の話ならば、少しくらいなんらかの影響は与えて欲しい。

Edouard Manet 010
マネ『アトリエ舟で描くクロード・モネ』/image via wikipedia

金銭の貸し借りではなくて、圧倒的にモネに影響を与えたのは、当時すでに写実主義の巨匠となっていたクールベだ。実際にクールベもモネの才能を認めて、一緒にノルマンディーの海岸で風景画を描いたりもしている。しかもクールベはマネのことはそれほど認めていなかったのだから、絵についてはクールベから学び、お金に困るとマネを頼ったモネはなかなかに強かだったということだろう。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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