コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(140)ゴッホとゴーギャン~止まない悪態~

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其処彼処で世話になった人々に悪態を吐き、居場所がなくなっていくゴーギャンの自業自得に同情の余地はないけれど、もしかするとそうやって自尊心を満たし、そして窮地に陥る際の感情の起伏こそが、創作意欲の源であるのかもしれないと思うほど、大物気取りで自尊心が満たされている時と、それが損なわれそうになっている時に、ゴーギャンは意欲的に創作に臨んでいる気がする。彼にとって美術とは、地位とお金を手に入れるためのただの手段なんじゃないかとまでは思っていても言わないけれど。

未開の物語

悪態を吐かれている周りの人たちにとっては迷惑な話だけれど、ヒバ・オア島では晩年の傑作と呼ばれる『未開の物語』(1902年/フォルクヴァンク美術館)、『叫び声』(1902年/クリーブランド美術館)、『扇を持った若い女』(1902年/フォルクヴァンク美術館)、『赤いケープをまとったマルキーズの男』(1902年/リエージュ近代美術館)等、いよいよ原始的なスピリチュアルをテーマにした作品を数多く描き上げている。

Paul Gauguin 033
「叫び声」 image via wikipedia

ただ、この頃の健康状態はますます悪化しているようで、実際に屋外で創作したのではなくて、例えば『叫び声』(1902年/クリーブランド美術館)と、『祈り』(1903年/ワシントン・ナショナル・ギャラリー)のように、度々作品中には同じ人物が描かれているから以前の記憶を頼りに描いていたようだ。実際に、翌年の1903年には、この世にさえ居場所がなくなる。

Paul Gauguin 074
「祈り」 image via wikipedia

死を悟ったからこその多作だったのかもしれないけれど、創作の他にもゴーギャンが行った“終活”は、自伝『前語録(Avant et après)』の執筆だった。タヒチを訪れる前と後を比べた自らの人生を振り返ると共に、美術批評などが書かれた多様な内容の中に、止せば良いのに前述の司教や地元の権力、妻への悪口までもが書かれているから、どこまでも他者に悪態を吐いて自己肯定を図るゴーギャンの面目躍如だというのは皮肉が過ぎるけれど、こんなことをしているから汚職を告発したはずの相手から名誉棄損で訴えられて敗訴する羽目になる。

そしてそれを受け入れられずに控訴するための資金集めの最中で最期を迎えるのだから、他人をかばって亡くなったゴッホと正反対なのはもう言うまでもない。

実はゴーギャンは『未開の物語』(1902年/フォルクヴァンク美術館)の中でも昔の仲間に悪態を吐いている。画面左に、穢れなき現地の人々対比して、穢れの象徴として描かれている“被害者”はポン=タヴァンで知り合った画家仲間の(蘭)ヤコブ・メイエル・デ・ハーン(1852~1895)だ。

Paul Gauguin Self Portrait with Halo and Snake
「光輪のある自画像」 image via wikipedia

二人は、ゴーギャンがゴッホとの共同生活から逃げ出してから少しの間、パリの同じ屋根の下で暮らしている。その時に、何があったのか細かいことは解らないのだけれど、当時ゴーギャンが対で描いた『光輪のある自画像』(1889年/ワシントン・ナショナル・ギャラリー)と、『ヤコブ・メイエル・デ・ハーンの肖像』(1889年/ニューヨーク近代美術館)を比べると、少なからずの悪意を感じ取ることができる。

Gauguin Meyer de Haan
「ヤコブ・メイエル・デ・ハーンの肖像」 image via wikipedia

“自画像”では、ポン=タヴァンで若い画家たちの指導者的存在である自身を神に例えて、頭上に光輪を描いているのに対して、“メイエル・デ・ハーン”の方には、アダムとイヴが追放された「失楽園」の詩が描き込まれている。二人の間に何があったとしても、自身を神に例えた上に、自分よりも高く評価されている他者をわざわざ卑下してみせる傲岸不遜な態度は筋金入りだ。

Meyer de haans autoportrait circa 1889 91
「自画像」 / image via wikipedia

実際のメイデル・デ・ハーンの『自画像』(1891年頃/2012年盗難)と比べても、似ても似つかないくらい悪意のある描き方をしている。もしかしたら既に成功していたメイエル・デ・ハーンに、ポン=タヴァンの若い画家たちの尊敬の眼差しを奪われるかもしれないとう焦りがあったのかもしれない。

Gauguin Autoritratto 1902
「眼鏡をかけた自画像」 / image via wikipedia

そんなゴーギャンだから、最晩年の『眼鏡をかけた自画像』(1903年/バーゼル市立美術館)を観ても、作品として云々というより残念ながら僕には自尊心しか見て取れない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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