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【コラム】美術の皮膚(番外の四)「世紀末芸術~混沌から生まれる新しい波~」

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お叱り覚悟で、イギリスは美術不毛の国だと言ってしまったから、例え独断や偏見だとしても、個人的な仮説の辻褄が合う理屈は必要だと思って、上辺だけでもイギリスという国のことを調べてみると、ヨーロッパ史に登場するのはやはり圧倒的に17世紀になってからの大英帝国、産業革命の件のようだ。

元々は、ドイツ、フランスと同様に、北アジアの騎馬民族である“フン族”に追われて西ローマ帝国に大移動してきたゴート人が出自らしいから、それぞれの国は兄弟みたいなものだと思うのだけれど、それだけに近親憎悪が強いのは、この三国が起こしてきた戦争の歴史が証明している。

ヨーロッパの歴史に大きく関わっているこの“フン族”は、今でも何者なのか定説はないらしい。当時の文献によると「背が低く、胸は広く、巨大な顔を持ち、眼は小さくて落ちくぼみ、髯は薄く、鼻は低く、顔色は黒ずんでいた」ということだから、きっとモンゴロイドみたいだけど、そうなると日本人の祖先だから、ずいぶんと世界が小さく感じる。それにしても、後にヨーロッパを実質的に支配することになる屈強なゴート人が追い払われるのだから、日本のお相撲にモンゴル人の横綱がたくさんいるのも頷ける。

実際に、ゴート人やローマ人から見ると“野蛮”な人々だったらしい。前述の引用もヨーロッパ側からのイメージだから誇張されているのだろうけれど、実はゴート人もローマ人から見ると“蛮族”と呼ばれていて、今でこそ決して悪口ではない“ゴシック”の語源は、「ゴート人のような野蛮な」という意味を多分に含んでいたようだ。「他者の悪口を言うと自分はその3倍の悪口を言われる」法則だ。

ただ、歴史は勝者が上書していくから、今でこそそんな物言いはあまり聞かないけれど、ヨーロッパの辺境でもあるイギリスにいたゴート人は“蛮族”の中でもさらに野蛮な人々だと云われていた。もちろん今は“紳士・淑女”の国だから、反動的にも長い歴史の中で襟を正し続けてきたのだろう。

そんな背景で、イギリスにおける美術を考えると、美術アカデミーの“師匠”が言った「歴史がないからなぁ」が腑に落ちる。長兄ドイツ、次兄フランスとの兄弟対決に忙しくて、それ以前のギリシア・ローマにまで手が回らない感じがする。

「ヨーロッパは女性の施政者の時に、芸術が発展することが多いですけれど、イギリスにも女帝はいましたよね?」

ロココを牽引したポンパドール夫人、エルミタージュ・コレクションを集めたエカチェリーナ2世を例に出して、もう一度“師匠”に訊き直してみた。

「エリザベス朝には、シェークスピアがいたぞ」

やはり“師匠”は文学部のご出身だ。

「ヴィクトリア朝には“ラファエル前派”もいただろ?」

とはいえほんの数年で消滅してる。ただ、“ラファエル前派”は“象徴主義”の先駆だと云われているから「イギリス人は手先が不器用だから美術に向いていないんじゃないか?」なんて短絡的に思いかけていた僕の稚拙な想像力は間違っていた。“集団の人格”としてのイギリスには美術を受け入れない何かがあると思えて仕方がない。

「まぁでもイギリス人は他のことに忙しいんだよ」

“師匠”は僕の質問攻めに少し面倒くさくなったようだけれど、そう言われれば確かにイギリスは、他民族との戦争とか、遅れ馳せの植民地政策とか、産業革命以降の繁忙とか、のんびり美術を楽しむ暇はなさそうだ。

しかも、歴史がない故に歴史を重んじるから、芸術に必要な革新のエネルギーは殺がれてしまうし、ドイツやフランスへの過度な対抗心が、追いつけない分野での競争を望まないんじゃないかなと考えられないこともない。その代わり、エリザベス女王はスペインの無敵艦隊を撃破したし、ヴィクトリア女王は産業革命と植民地政策で現在のイギリスの繁栄の基盤を作った。

そういえば昔、イギリス人はフランスを文弱(芸術やに習い事に現を抜かす)だと少し悪口にも似た物言いをすると聞いたことがある。その言葉の裏には、イギリスのアイデンティティでもある“騎士道”の精神が見え隠れする。“騎士道”の精神自体も元を辿るとアジアにあるらしいけれど、中世から続くキリスト教が基盤である“騎士道”をことさら重要視することを、実際には歴史の浅いイギリスが半面的に重んじるのも解る気がする。

そして、ただのスローガンではなくて、契約にも近い“騎士道”の精神には、「勇気を持つこと」や「正直であること」、「弱者を守ること」は含まれているけれど、「芸術を愛すること」は謳われていない。なんならとても“中世的”だから、意図的かどうかは判らないけれど、イギリスは“古い”んじゃなくて“古臭い”のだなんて考えると、僕のイメージは辻褄が合うのだけれど、きっとシェークスピアが好きな“師匠”に「いい加減なことを言うんじゃない!」って叱られるから言わない。でも、辻褄はそこに合わせておくことにする。

そんな19世紀のイギリスは、美術においても100年も前に(英)レノルズ(1723~1792)の設立した保守的な王立アカデミーの伝統を重んじていたけれど、実は“印象派”に先駆けて、これに反発する美術運動“ザ・クリーク”が(英)リチャード・ダッド(1819~1886)を中心にして起こっている。

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リチャード・ダッド /「お伽の樵の入神の一撃」image via wikipedia

しかし、リチャード・ダッドが精神を病んで、ついには1843年に父親を殺害してしまうから、彼は精神病院に入れられて、その後も創作は続けるものの“ザ・クリーク”は消滅する。残念ながら「伝統に異を唱える者は頭がおかしい」ことになって、イギリスの革新的美術の扉は閉ざされかけたんじゃないかと要らぬ心配さえする。

“ザ・クリーク”以前にも、神秘主義の詩人で自作の詩集に挿絵を描いた“ロマン主義”の先駆と云われる(英)ブレーク(1757~1827)や、幻想的で神秘的な作品を遺した(英)ターナー(1775~1851)、(英)パーマー(1805~1881)といったロマン主義の画家たちや、終生故郷の田園風景を描き“印象派”の先駆とも呼ばれたイギリス風景画の代表的な画家(英)カンスタブル(1776~1837)、光や大気を意識した風景画を描き“バルビゾン派”にも大きな影響を与えたと云われている(英)ボニントン(1802~1828)といった自然主義がいて、非伝統的な美術がほんのりと芽吹いてきた頃なので、リチャード・ダッドのご乱心は本当にもったいない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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美術の皮膚(番外の弐)「世紀末芸術~時代を漂う儚い夢~」
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