コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(2)「正しい答えは、次の正しい疑問を生む」

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なるほど、コンテンポラリーを「時代に寄り添う」のだと解釈すれば、これほど解りやすい説明はない。マーケットのテクニカルなことは別にして、富裕層が莫大な金額でコンテンポラリー・アートを購入するのも、たった経済的な成功だけでなく、この次代を生きているという証が欲しいのかもしれない。

身勝手な質問の間違いない話し相手を選んだ僕の慧眼はさすがだ...いや、さすがなのは僕の不躾にも怒らず、的確な答えに導いてくれた彼女の方だ。

しかし、目から鱗が落ちた瞬間にまた一つ気になるコトが頭を過った。正しい答えは、次の正しい疑問を生む。

僕らは当たり前のように暮らしているけれど、17世紀の終わりから18世紀にかけて革命的な生活の変化が生まれている。家内制手工業が工場制手工業に変わって、労働者と資本家という2種類の仕事が生まれた。それまでは職場が家だったのに、大勢の労働者が工場や事務所といった資本家が準備した場所に集って仕事をするようになった。

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「石割人夫」 ギュスターヴ・クールベ / image via wikipedia

ヴィック・ムニーズは、その時代の「今」を描いたけれど、当時には当時で神や王侯貴族ではなく労働者の姿を大画面に描いたギュスターヴ・クールベが、時代に寄り添っている...コンテンポラリーだ。

そもそも芸術や美術は、いつでもその時代に寄り添っているんじゃないか?

教会支配から解放されて人生を謳歌するルネッサンス時代には、遠近法を使ったまさに生き生きとした絵が描かれた。市民革命後のフランスでは、官制美術アカデミーの様式美に対抗するように、後に印象派と呼ばれる個々の印象に基づいた自由な絵が描かれた。

なぜ現代アートについてだけ殊更に時代との関係性が重要なのか。しかし、もう同じ不躾を彼女にぶつける勇気は僕にはない。だから自分で考えなくてはいけない。

受胎告知

きっと現代においては、レオナルド・ダ・ヴィンチが建築技術から遠近法を採り入れたり、チューブ絵具が開発されて屋外での作画が可能になったり、そういった革新的な技法や画材の発明や発見が出尽くしてしまっているので、その作品が完成するに至る文脈こそが求められているのかもしれない。

いや、もしかしたら、マルセル・デュシャンの「泉」に代表されるように、第一次世界大戦を体験した芸術家たちが唱えた人間の理性を否定したダダイズムに端を発する、アートのためのアートが蔓延したために(誤解を恐れずに言えば)訳の解らないモノを何でもかんでもアートと呼ぶ20世紀の風潮のカウンターとして、実際にその後に残った作品たちに倣って、時代に寄り添うということをアートの一つの価値としてあえて強く規定しているのかもしれない。いや、違うかもしれない。むしろ答えは解るはずもない。

なぜならば、それは当り前だけれど僕ではなくて、100年後、200年後に生きる人々が、評価することだからだ。

やっぱり「デジタル時代」なのかなー?それとも「コンテクスト派」とかなのかなー?と楽しみにしてみても、それは聞くことのできない答えだから、もう考えるのは止めて次のコラムを書こうと思う。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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