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【コラム】美術の皮膚(134)ゴッホとゴーギャン~ゴッホの勘違い~

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ゴーギャンのことを面白がって“傲岸不遜”なんて言っていると、お叱り覚悟でも本当に叱られそうだから、もう少し穏やかに換言するとすれば、人一倍“自尊心”が高かったのだと思う。独り善がりのゴッホとは、その理由が少し違うとはいえ社会に馴染めないところは二人の共通点だろう。

夜のカフェ・テラス

例えば華やかで騒々しいパリを嫌い、南仏アルルでゴーギャンと画家の桃源郷を築こうと待ち侘びていたゴッホが描いた『夜のカフェ・テラス』(1888年/クレラー=ミュラー美術館)は、一見すると石畳の広場を照らす明るいカフェの光が鮮やかだけれど、ゴッホにとって重要なのはその背景にある星空でこそあって、それは俗悪な地上に対する聖なる世界を表現しているから、そこには夜を徹して楽し気に芸術論を語る画家たちも含めて、くだらない世の中を憂う仲間としての親近感をゴッホがゴーギャンに抱いていたと思うのは考え過ぎでもないと思う。

しかし、それがゴッホの大きな勘違いでもあり、人生の終わりの始まりになるのだから、少しドキドキする。100年以上も前の話だけれど。

ゴッホはゴーギャンみたいに誰かと喧嘩をして社会から外れたわけではない。むしろ、そこまで距離が縮まる前に、相手に誤解されるか、もしくはそれが誤解ではなくても相手から距離を取られているようなイメージがある。お会いしたことはないからあくまでイメージだけれども、逸話を見ると口下手なような気はする。ゴーギャンの方は、弁は立って打算もできるけれど、自尊心が高過ぎて衝突を起こしてきたのであろうことは、想像に難くない。

そして1888年10月から『黄色い家』で二人は一緒に住むことになる。ゴッホが“大物”ゴーギャンを迎えるにあたって、どれくらい気分が高揚していたのかは、ゴーギャンがアルルにやってくると知った3か月前から『夜のカフェテラス』の他にも、後にゴッホの代表作と云われるような数々の名画を描き上げていることから容易に想像ができる。

黄色い家
黄色い家』(1888年9月/ゴッホ美術館)
Starry Night Over the Rhone
『ローヌ川の星月夜』(1888年9月/オルセー美術館) / image via wikipedia
1280px Vincent Willem van Gogh 076
『夜のカフェ』(1888年9月/イェール大学美術館)/image via wikipedia

ゴーギャン以外の他の多くの画家たちに断られた悲しさなんか、きっともうすっかり忘れている。

実は“純粋”で“独り善がり”なゴッホは、敬愛する日本について大きな勘違いをいくつかしている。影のない浮世絵を見て、日本は真上から陽光の射す明るい国なのだと思い込み、明るい南仏アルルに越してきた。浮世絵に影がないのは、原画を元に彫って、さらに刷るという工程が影の表現を難しくしているからだと思うのだけれど、ベルナールに宛てた手紙には「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため日本みたいに美しい。

水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ。」と書いてある。もちろん、ゴッホは日本を訪れたことはない。恐らく“青”というのは北斎たちが使った“ベロ藍”のことだと思うのだけれど、文字通りベルリンの藍色のことだから産地はドイツだ。

もうひとつ日本の画家たちは、自分たちの作品を交換して親交を深めているとも思っていたらしい。何故こんな勘違いをしていたかという理由をひとつ思い当たる。

Brooklyn Museum E Goyomi Lady Dressing
「絵暦」/ image via wikipedia

江戸時代には暦の販売は幕府に制約されていたから、粋人たちはお抱えの絵師に絵暦を描かせて交換していたと聞いたことがある。絵暦が浮世絵の原形だとも云われているから日本贔屓のゴッホはそのことを知っていたかもしないけれど、画家同士ではない。

初めのうちは、お互いを描き合ったりしていたけれど、独り善がりのゴッホと、自尊心の高いゴーギャンが上手くいくことはない。しかも最悪なことにお互いの美術に対する考え方も全く噛み合っていない。今度はゴーギャンがエミール・ベルナールに「ゴッホと自分は全く意見が合わない」と手紙でゴッホの愚痴を伝えている。

しかも空気の読めないゴッホは、自尊心の塊のようなゴーギャンが絵を描いていると、あれこれ指図までしたらしい。

そんな二人だから事件も起きる。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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