世界の美術館

【コラム】美術の皮膚(10)「コンテンポラリーアートは日本人の鑑賞に適している?」

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世界三大美術館の(仏)ルーブル美術館、(英)大英博物館、(米)メトロポリタン美術館は年間に650~800万人の動員数を誇るけれど、2016年には、企画展を主宰するだけで所蔵美術品のない(日)国立新美術館が5か月間で67万人の動員を記録して世界を驚かせた。

実は(英)美術専門新聞「The Art Newspaper」によると、世界の美術展動員数ベストテンには、日本の美術展が常連らしいし、年間に1度でも美術展に足を運ぶ美術人口は延べ2,000万人を数えて世界有数とも言われている。

ただ実際には、賑わっているのは企画展ばかりで、日常的に常設展へ足を運んでいるのかといえばそうではなくて、美術が日本人の身近な存在だとは、なかなか言えないかもしれない。

しかしこのことで、日本人は美術が解っていないと評価するのは少し違うと思う。日本人は、刹那(ビジュアル)よりも物語(文脈)に知的好奇心が反応する傾向があるから、美術館がテーマによって集めた作品を飾る企画展への動員が世界的に類を見ないくらい多いのだと思う...思いたい。

これを、流行りモノに弱いとか、付和雷同だから話題になると足を運ぶのだと自虐的に日本人自身が語るのも、謙虚さからくるご愛嬌なんだと思う。

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一方で、「世界のエリートはなぜ『美意識を』鍛えるのか?」(光文社新書/山口周著)によると、現代社会(西洋文明)が抱える大きな課題の一つとして、「不確実」で「不安定」で「曖昧」で「複雑」な高度情報化社会の中で、今まで積み上げてきた科学的、論理的思考では解が導けないという問題が発生しているらしい。

そこで都市の企業エリートたちが、美術館で行われるトークショーや、アートスクールに通って、ビジネス上の正しい判断を下すために、自身の美意識を鍛えようとする動きが広がっているというのだ。

これからの世界は、美意識に基づいた判断が求められて、曖昧で抽象的なセンス、スタイルといった言葉に、論理的な思考に慣れている欧米的な秀才ほど戸惑うだろうが、これからの世界において日本には大きな可能性があると言われれば、僕らも少し背筋を伸ばさなくてはいけないという気持にもなる。

「不確実」で「不安定」で「曖昧」で「複雑」な性質を持つ最たるものは「自然」だから、自然を科学的に制圧することで進歩してきた西洋文明は少し戸惑っているようだけれど、少し前までの国際社会で、曖昧で解りにくいと揶揄されていた日本は、まさに自然と共生することで発展してきた世界でも珍しい先進国であるから、ようやく日本の美意識が、求めらる時代になったのかもしれない。

とはいえ、謙虚さも日本の美徳なので、殊更に主張するのではなく、訊かれたら答えるくらいの態度がちょうど良いのだとも思う。

それに先んじて、アートは何よりも軽々と国境や文化を超えて僕らの目の前に現れるから、まさに時代に寄り添うコンテンポラリー・アートの楽しみ方は、作品の制作過程や、作品が創り出す結果も含めて、ヴィック・ムニーズのように、その作品を通して語られる目には見えない文脈の読解にあるのだと思う。

世界的に有名なコンテンポラリー・アーティストの村上隆氏の言葉を借りれば、コンテンポラリー・アートは、鑑賞者のあるがままで「体感」しても解りにくくて、文脈を理解しているといないとでは、観方、感じ方、考え方が全く違うものであるらしい。

文脈を理解しないまま感じるだけでは、その表層しか感じることはできないと言う。それならば、文脈に関心を持ち、物語を好むのは、日本人が本来として持っている志向だから、コンテンポラリー・アートこそ、日本人が楽しめるアートなのかもしれない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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