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【コラム】美術の皮膚(23)「近世のご長寿画家たち③~近世と近代の橋渡しを担ったアングルまで~」

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近世のご長寿画家たちもいよいよあと9人。最後を飾るのは新古典主義の巨匠にして、印象派の(仏)エドガー・ドガ(1834~1917)をはじめ19世紀美術にも多大な影響を与えたアングル。長生きしてくれたおかげで、このリストに入ってくれたから、近世から近代への繋がりが見えた。

87歳(瑞)ジャン・エティエンヌ・リオタール(1702~1789)

ジュネーブ出身のパステル画の名手で、パリで学んだ後にイタリアを経て、イスタンブールに移った。そこで描かれたトルコ風の衣装を着た女性たちの絵が有名。パステルを活かした明るく柔らかい色調で、写実的な肖像画を多く描いた。

83歳(伊)ピエトロ・ロンギ(1702~1785)

最初は重厚な宗教画や歴史画を描いていたが、(伊)クレスピ(1665~1747)の工房に入り明暗表現を学ぶと、次第に当時のヴェネツィアを想わせるような、上流階級や庶民の暮らしを優雅で軽妙な風俗画で描いた。

84歳(仏)モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1704~1788)

ポンパドゥール夫人の肖像
ポンパドゥール夫人の肖像」 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール

当時パリで流行していたパステル画に影響を受け、確かなデッサンと(油彩とは違う)柔らかで明るい色彩でモデルの感情まで表現し、高い評価を得てパステル肖像画家として王立アカデミーの会員に認められた。

ロココ文化を牽引したポンパドゥール夫人の肖像画『ポンパドゥール夫人の肖像』(ルーブル美術館/1755年)をはじめとして、数々の上流階級の人々の肖像画を描き、絶大な人気を誇ったけれど、晩年は精神を病んでしまった。

81歳(伊)フランチェスコ・グアルディ(1712~1793)

ヴェネツィアの祝賀演奏会
ヴェネツィアの祝賀演奏会」 フランチェスコ・グアルディ

ヴェネツィアの高名な画家一族ドメニコ・グアルディ家の次男で、父親の工房を継いだ。同時期に活躍した(伊)カナレット(1697~1768)と同様に、ヴェネツィアの街と水と明るい光を表現した景観を多く描いたけれど、詩的な情感を含んだ作風は印象派を連想させるとも云われている。

兄のジョヴァンニ・アントニオ・アマデーオも75歳まで生きた。あと5歳長生きしたら、兄弟並んでこのリストに加えられたのに…

80歳(仏)ジャン=バティスト・グルーズ(1725~1805)

ロココ美術と新古典主義の狭間で活躍した風俗画家。

歴史画家を志向していたけれど王立アカデミーには風俗画家として評価されて会員になる。大きな目をした少女の肖像画や、物語性を感じる豊かな表現力で、ロココを代表する巨匠(仏)ジャン・オノレ・フラゴナール(1732~1806年)と並ぶ人気を博していたけれど、歴史画家へのこだわりからアカデミーを離れ、フランス革命後には次第に忘れ去られてしまった。

82歳(米)ベンジャミン・ウェスト(1738~1820)

当時は英国領だった(米)フィラデルフィア出身で、独学で絵を学び、地元の富裕層の援助を受けてローマで学んだ後、ロンドンに渡ると、歴史画、肖像画を高く評価され、英国王からの寵愛を受けると、英国王立アカデミーの設立に参加し、後に会長職にも就いた。

イギリス美術史において古典的な歴史画の先駆けであるだけではなく、アメリカ人で最初にヨーロッパで成功した画家として、アメリカ絵画を担う多くの門下を育てた。

84歳(瑞)ヨハン・ハインリヒ・フゥースリ(1741~1825)

スイスで生まれ主にロンドンで活躍した。ミケランジェロの肉体表現に強く影響を受けた古典主義の画家であったが、幻想的な独自の画風を確立していった。

最初は親の希望で聖職者を目指したが、イギリスで画才を認められると、王立アカデミーの会員になり、後に王立美術学校の教授や、芸術館長を歴任した。

82歳(西)フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)

裸のマハ
裸のマハ」ゴヤ

近代スペイン絵画最大の巨匠であり、近代絵画創始者の一人でもある。

柔らかな作風のロココ美術が全盛の当時に、確かな写実の作品が絶大な支持を受けて宮廷画家となるけれど、50歳を前に聴覚を失うと、むしろ観察力が研ぎ澄まされたかのように、強い風刺を含んだ心理表現による傑作を数多く生み出されて、晩年に最高潮を迎えた。

87歳(仏)ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780~1867)

グランド・オダリスク
グランド・オダリスク」アングル(ドミニック・アングル)

ナポレオンの寵愛を受けたフランス新古典主義の巨匠(仏)ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)の後継者として、フランス革命以降に台頭してきた(仏)ウジェーヌ・ドラクロア(1798~1863)に代表されるロマン主義に対抗する形で、ルネサンス以降の理想美を追い続け、晩年は数々の要職に就いた。

デッサンこそが絵画創作で重要なものだとしたアングルは、写実的でありながら新しい美しさを求める態度が、後の印象派やポスト印象派の画家たちに大きな影響を与えたと云われているから、古典美術と19世紀美術の橋渡しを担ったのではないかと思う。

古典美術の殿堂(仏)ルーブル美術館から、19世紀美術専門の美術館として分けられた(仏)オルセー美術館には、印象派やポスト印象派の名画が並ぶけれど、アングルの作品はその両方に飾られている。

泉
」 アングル(ドミニック・アングル)

ルーブル美術館には、写実的でありながら理想のスタイルを追い求めた結果 ”背骨が3本多い女性”と揶揄された『グランド・オダリスク』(1814)が新古典主義の名作として飾られていて、オルセー美術館では、19世紀美術の入り口として『』(1820~1856)が出迎えてくれている。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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