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【コラム】美術の皮膚(87)「印象派物語~自由を求めた代償~」

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“どっちつかず”なだけではなくて、後進の面倒をよくみたピサロではあるけれど、お節介覚悟で言えば罪なこともしている。ピサロに誘われて、第4回目から最後の8回まで、株のディーラーとしての成功を捨てて参加している画家がいる。(仏)ポール・ゴーギャン(1848~1903)だ。

笛を吹く少年
タヒチの女たち(浜辺にて)」/ポール・ゴーガン

実は、ゴーギャン(は1876年には官展(サロン)でも入選を果たしながらも、以降は印象派展に積極的に参加しているのに、彼が印象派の画家と呼ばれないのは、後半生になると、より浮世絵の影響を受けたクロワゾニスムへ傾倒していったということだけでなくて、印象派展の中でもまったく評価されなかったことが大いに関係があると思う。

しかも、スーラの描く点描画について、それまで面倒を見てもらっていたピサロとも対立して、印象派展が消滅した後には、ゴッホとの共同生活も上手く行かず、流浪の末に南太平洋の小さな島で病死してしまう。仕事や家庭を捨てて創作に挑んだ画家が主人公の(英)サマセット・モームの「月と6ペンス」(1919年)のモデルはゴーギャンだと云われている。作中の画家は、ゴーギャンと同様に極貧の中で没している。

本人が幸せだったかどうかは本人が決めることなので、たった僕の個人的な感想だけれど、パリで流行っていたインチキな原始主義ではなく、純粋に素朴な地上の楽園を求めてタヒチに渡ったのに、植民地化によって文化だけでなく疫病まで西洋に侵されていた現状を知りながら、それでも居続けたのは、捨て去ったモノへの代償に対する痛々しい意地だった気がするから、自分で決めたことだとはいえ、同じく故郷での高給を捨てて画家の道を目指したピサロに、唆された感は否めない。

ピサロと喧嘩をした後に、より家賃の安いポンタヴェンに引っ越した先で、ゴーギャンが出会った(仏)ポール・セリュジエ(1864~1927)、(仏)ピエール・ボナール(1867~1947)、(仏)エミール・ベルナール(1861~1948)、(仏)モーリス・ドニ(1870~1943)といった若い画家たちが、ゴーギャンのアドバイスを“神託”とまで受け止めた上に、抽象絵画の先駆となる「ナビ(予言者)派」を立ち上げて、次の青春群像を紡ぎ出したのは救いだけれど、ゴーギャン自身が1892年にタヒチで描いた『いつ結婚するの?』が300億円で売れるのは彼の死から112年も経った後のことだ。

ナビ派には“神託”に聴こえたかもしれないけれど、印象派から離れてから探り当てたゴーギャン自身の作風は、同じく生前にほとんど作品が売れなかったセザンヌにも「中国の切り絵か?」と酷評されだけではなくて、画家仲間からもほとんど相手にされていなかった。

(蘭)ヴィンセント・ヴァン・ゴッホもまた、ピサロが面倒を見た画家のひとりだけれど、印象派展参加への意欲は満々だったのに、パリに出てくるのが間に合わずに叶わなかった。晩年に精神を病んで、自らを拳銃で撃ちその人生を閉じるのだから、幸せだとは思えないけれど、前述ゴーギャンと、印象派に続く新しい画家の共同体を模索したものの、わずか9週間で破綻したのは有名な話だ。

原因は、ゴッホの常軌を逸した言動であると云われているけれど、ゴーギャンの方も、ピサロと喧嘩をしただけではなくて、彼を師と仰いでいたナビ派の(20歳も年下の)エミール・ベルナールとも絶交に至る諍いがあったようだから、追い詰められておかしくなっていたのはゴッホだけではないような気がする。

そのことについて何も語らないゴッホが、自身の耳を剃刀で切り落とす前に「剃刀を持って切りかかってきた」というゴーギャンの話は嘘で、なんならゴッホの耳を切ったのさえ彼じゃないかと思うのは、僕のいき過ぎた邪推だと思うけれど、ただ直後に精神病院に入れられたゴッホを見舞ったシニャックが、以前と比べて成熟したゴッホの作品に驚いたのに対して、「共同生活の中でゴッホに画家としての成長をもたらしたのは私だ」と言い出したゴーギャンの言葉は明らかに違う。

ほとんど絵が売れないどころか、画家仲間からも相手にされていないゴーギャンのこの尊大さの裏側には、やっぱり捨て去ったものへの後悔が見え隠れする。急死する1年前には、創作を棚に上げて自伝を書いているのだけれど、世話になったはずの妻や、現地の司教への恨み辛みを吐き出しているのだから、自分の不遇を他人のせいにしている時点で、自己肯定をするしかない彼の哀れな後悔は丸見えだ。

(つづく)

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