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【コラム】美術の皮膚(86)「印象派物語~長生きは三文の得~」

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“長生き”したことを、画家が成功した理由に挙げるのは、少し短絡的だとは思いつつも、実際に印象派の中心的な画家を見てみると

(仏)クロード・モネ(1840~1926)
(仏)オーギュスト・ルノワール(1841~1919)
(丁)カミーユ・ピサロ(1830~1903)
(仏)アルフレッド・シスレー(1839~1899)
(仏)ベルト・モリゾ(1841~1895)

ということだから、早々に印象派から離れて、肖像画でサロンでの成功を手に入れたルノワールは別にしても、20世紀まで生きた画家たちだけが、生前の生活が安定したていたことが判る。

もっとも印象派らしいと云われたシスレーは、裕福なイギリス人家庭に生まれながら、1899年に画家として貧困の中で病死している。

ロココ時代を代表する画家(仏)ジャン・オノレ・フラゴナール(1476~1510)を祖先に持ち、若くしてサロンでも入選を果たしたモリゾでさえ、比較的生前に作品が高額で売れていたものの、54歳で亡くなった後に残された娘の生活をルノワールやドガが支援していたところを見ると、決して裕福だったとは思えない。

恋愛関係にあったとされるマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚したりするから、印象派に参加したのもマネへの当てつけだったのかと邪推したくなるけれど、2013年には『アフターランチ』(1881年)が10億円以上で落札されて、今では最も高額で取引される女性画家も、男性中心の時代に女の意地だけで成功するのは難しかったのかもしれない。

もちろん、生活が安定することと、作品の価値がそのまま連動するとは思わないけれど、長く現役を続けたモネとピサロが、生前に成功した大きな理由のひとつには、フランスの経済環境も関係していたのだとも思う。

普仏戦争(1870~1871)の勝利に沸いたドイツ発のバブルが、1873年にはヨーロッパ諸国ではじけて不況が始まり、更にフランス経済は1882年に株価の大暴落でどの国よりも痛手を受けてしまう。

およそ10年間続いた不景気の間は、絵画の売買どころではないし、ましてやまだ認知さえされていない印象派の作品が売れるはずもないから、彼らが本格的に成功するチャンスは、フランス経済が不況を乗り越えてなお少し経った1890年代後半からのことであったはずだ。

そんな中で、第5回印象派展(1880年)で袂を分かちサロンへの入選を果たしていたモネに、最初の不景気から立ち直っていた画商のデュラン・リュエルが秋波を送る。

早速1881年にはモネの作品を大量に購入したから、フランスを襲う本格的な恐慌を前に、一足早くモネの生活は安定したものの、不況下の1883年に開催された個展の結果は芳しくなくて、アメリカでの商売を始めたデュラン・リュエルに対して、母国フランスでの成功を望むモネは少なからずの反発をして、以後複数の画商と付き合いを始めた。

そして、北斎『富嶽三十六景』の影響が見られる「積みわら」や「睡蓮」の連作を1890年後半に入って本格的に描き始めると、モネの方からデュラン・リュエルに買値を提案できるほどに、いよいよモネの成功は確実なものになった。

その頃になると、一度はフランス政府に拒否されていた、カイユボットが持っていた印象派作品の遺贈が認められたりして、印象派が官展(サロン)でも認知され始めたのは、ルノワールはともかくとしても、ドガやピサロとの衝突があっても、モネが印象派的な画風を守ってきたことの成果だろう。

睡蓮、緑の反映

ついにはモネの生前にはたった1年だけ間に合わなかったけれど、連作『睡蓮』を飾るために整備された、オランジュリー美術館さえオープンするからやはり“継続は力なり”ということなんだと思う。

そんなモネの成功を横目に、嫉妬混じりに“商業主義”だと批判していたけれど、それまで作品の売買を依頼していたゴッホの弟テオが亡くなって途方に暮れていたピサロに近付いたのは、またしても画商のデュラン・リュエルだった。

なかなか自分の言うことを聞かなくなったモネの替わりだったかどうかは判らないけれど、一度は印象派を離れて、スーラの点描画を真似ていたピサロが、印象派に回帰したのもちょうどこの頃だから、やっぱりモネの代替えに、デュラン・リュエルが売れ筋を描くように唆したことにして、申し訳ないけれど僕の中では、終始彼には商売上手に立ち回ってもらうことにしたい。それであっさり画風を変えるピサロも、どっちつかずのキャラクターとして辻褄が合うし、何より両者ともに得をするのだからお互い様だ。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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