コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(62)「今こそジャポニスムを考えてみる~パリを席巻したジャポネズリー~」

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葛飾北斎「自画像」 / image via wikipedia

1867年の第二回パリ万博で“浮世絵”が広く紹介されると、日本美術に対する熱狂的なブーム“ジャポネズリー(日本趣味)”が沸き起こる。当時の西洋絵画にはない、多色刷りの浮世絵の極彩色や、「宗教画」や「歴史画」に比べて地位の低かった「風景画」を鮮やかに描いた(日)葛飾北斎(1760~1849)や(日)歌川広重(1797~1858)の作品は特にパリの画家たちを魅了した。

19世紀を代表する画家たちは、こぞって“浮世絵”を称賛している。

(仏)ポール・ゴーギャン(1848~1903)は「光と影の戯れもなしに、はるかに単純な方法で描かれている。自然からかけ離れていて、しかも自然に近いのだ。その高貴さと率直さは、今さら強調するまでもないだろう」と、まるで日本を訪れて「枯山水」の庭でも観たかのように、自然を中心に据えている日本の美意識を深く理解した。

(仏)カミーユ・ピサロ(1830~1903)は「浮世絵は、我々が求めていたものを、確信させてくれた」と言っているから、よく言われるように「浮世絵は印象派に影響を与えた」のではなく、後に印象派と呼ばれる画家たちを“覚醒”させたのだとさえ思う。

印象派の名作を多く所蔵する19世紀美術専門美術館の「オルセー美術館」(1986開館)は、準備に2年をかけて1988年に大規模な展覧会を開催したのだけれど、そのテーマは「「ジャポニスム展19世紀西洋美術への日本の影響」だった。

19世紀後半のパリは日本の時代と言っても過言ではない。

例えば自国の文化を発展させようと(伊)レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)を招いたフランス国王フランソワ1世のように、元々フランスは異国の文化を採り入れることに抵抗はないんだと思う。フランス人の知り合いは「我々は世界一のモノは作らないけど、モノを見る目は世界一だ」って自慢をしてた。お互い片言の英語で話してたからちゃんと訳せているかどうかは自信がないけれど。

とはいえ、産業革命の時代にヨーロッパの先進諸国が威信をかけて高層建築の高さを150m前後で競い合っていた時に、フランスは一気に300m超のエッフェル塔を建ててみせた。今でも「世界でもっとも多くの人が訪れた有料建造物」だと云われているから、調べてみたら設計者のギュスターヴ・エッフェルはフランス国籍だけれどドイツ系アルザス人だった。

気になったから有名なフランスの老舗ブランドの歴代トップ・デザイナーも調べてみたら、12人中(白)マルタン・マルジェラの1人だったエルメスを除いて、ルイ・ヴィトンもシャネルもグッチもクリスチャン・ディオールにも半分くらい外国人がいた。

そういえば、フランスからの帰国子女も「ガーデニングっていうとイギリスが本場だけどフランス人も庭を造るのはイギリスに負けず大好きなのよ」って言ってた。

でも、手間をかけずに上手にやるから、自国の固有種が少なくて異国の花を集めて苦労して庭を造るイギリス人からは“お遊び”だって見られるらしい。それでもフランス人はそんなのを気にせずに世界中から素敵なものを集めてる。

それにしても一方で、最近増えている訪日イギリス人は、物見遊山の“お遊び”じゃなくて、やっぱり日本の文化を“研究”に来ているんだなとますます思う。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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