コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(143)カラバッジョ~才能はしばしば妬まれる~

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圧倒的な写実にも拘わらずカラバッジョの創作は非常に手際が良くて速かった。その理由は、下絵を描かずに直接キャンバスに筆を走らせたからなのだけれど、この態度は理想化しない作風も含めて、賑々しく描く当時のベテラン画家たちから嫌われた。

しかも、問答無用の完成度なのだから妬みも含めて大きな非難も浴びた。もちろん、カラバッジョは反省する素振りもない。それなのにローマ・カトリック教会は彼を認めて作品を依頼するものだから、旧態依然とした美術界の中で異端扱いになるのは必然でもあった。

ただでさえ武骨なカラバッジョは工房も弟子も持たない一匹狼だったから、自らの技術を伝承する気もなく、またその手法についても多くを語っていないために、後世での評価は雄弁な評論家の手に委ねられることになる。そういう意味では同じイタリア・バロック期に多くの門弟を抱え影響力を拡大していった(伊)アンニーバレ・カラッチ(1560~1609)とは対照的だ。

しかも、皮肉なことに、5歳年下のカラバッジョのローマでの名声を妬んだマニュエリスムの画家(伊)ジョヴァンニ・バグリオーネ(1566~1643)には文才があって、ローマで活躍した200人以上に及ぶ画家たちの伝記を書いた。しかもすべての画家の没後にこっそり出版しているから少なからず悪意があることは否めない。

同じくルネサンス期の「画家列伝」を書いたマニエリスムの画家ヴァザーリ(1511~1574)と違うところは、後者がミケランジェロの直接の弟子だったこともあって、ルネサンス期を「人間性の再生」だと賛美しているのに対して、バグリオーネは世俗的な中傷で画家仲間を貶めた。

彼の作品『神聖な愛と冒とくの愛』(1603年頃/ベルリン絵画館)を観れば、カラバッジョからの影響を多大に受けているのは間違いないのだけれど、特にカラバッジョへの罵詈雑言は激しく、残念ながらその社会的な評価は20世紀に再評価されるまで続いてしまった。

Giovanni Baglione The Divine Eros Defeats the Earthly Eros Google Art Project
「神聖な愛と冒とくの愛」/ image via wikipedia

むしろ『神聖な愛と冒とくの愛』がカラバッジョの真似だと揶揄した画家仲間たちを名誉棄損で訴えるほどだったから、カラバッジョの才能を受け入れられずに、愛が嫉妬に変わったことは間違いないだろう。

とはいえそのせいで、1983年には既に国内ではレオナルド・ダ・ヴィンチを凌ぐ人気のカラバッジョをイタリア政府が当時最高額面の10万リラ紙幣に採用すると「人殺しを紙幣にするとはけしからん!」と批判もあったそうだから妬み嫉みの類は本当に性質が悪い。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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