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【コラム】美術の皮膚(番外の九)「世紀末芸術~象徴主義~」

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たった僕の辻褄では、“ラファエル前派兄弟団”がやってのけた、美術的な背景の説明さえ無用な自由過ぎる振る舞いは、イギリスを飛び出してヨーロッパ全土に拡がって“世紀末芸術”と呼ばれるカオスを生んだ。

ジョン・ラスキンの“受け売り”以外に明確な美術理論を持たなかった彼らを、直線的に“象徴主義”の先駆と呼ぶことには個人的に違和感はあるけれど、産業革命によって資本原理主義に突っ走るイギリスで、例えラスキンの思想を深く理解していなかったとしても、歴史が浅いが故に過剰に歴史に拘るイギリスで、美術という精神文化に混乱を巻き起こした“やんちゃ”には拍手喝采だ。

むしろ、そういう意味では“象徴主義”どころか世紀末に生まれた“非古典美術”の先駆だと言えるとさえ思う。

“世紀末芸術”は、一括りにして呼ぶには無理があるくらい、フランスでは“アール・ヌーヴォー(新しい芸術)”、ドイツでは“ユーゲント・シュティール(若き様式)”、ベルギーでは“自由美学”といった、ヨーロッパ中で様々な芸術運動が、影響し合いながらも独自の美学を模索する混沌のうちに20世紀を迎えることになる。

その中でも、20世紀最大の芸術家と云われる(西)パブロ・ピカソ(1881~1973)によって結実する、何物にも縛られない自由な芸術活動の胎動でもある“世紀末芸術”を代表する様式が、フランスで生まれた“象徴主義”だ。

“象徴主義”の根底には、恐らく“印象派”への対抗心がある。“印象派”が、神話や聖書の美化された世界を重んじる保守的な美術界に反発して、“目の前に見える”自然の光や、市民社会を謳歌する華やかなパリの風景をキャンバスに写しとろうと試みたのに対して、同じ反発でも“象徴主義”の画家たちはむしろその先の未来への不安や焦燥といった“目に見えない感情”をキャンバスに描こうとした。

彼らは、その難題を解消するために、神話や聖書、文学の場面を感情の“象徴”として描いたから“象徴主義”と呼ばれるのだけれど、未来を描いたはずの作品のテーマが新味のない古典に還っていったのは、別に古典への“反発(印象派)”に“反発”したからではなくて、むしろ普遍的な人間の暗部を古典に求めたのだと思う。人間の“美しさ”も“醜さ”も含蓄する神話や聖書の持つ普遍性は、しっかりと人間に寄り添ってできている。

そして、実際に不安は的中して“戦争の世紀”に突入していくのだから、時代を予見した“象徴主義”は、20世紀の美術にも大きく影響を及ぼすのは当たり前だ。しつこいようだけれど、やはり“中世的”という要素を除いて、そこには“ラファエル前派兄弟団”のスローガンでもあり、ジョン・ラスキンが「近代画家論」の中で謳った「自然をそのまま描く素晴らしさ」は影も形もない。

面白いことに、ルネサンスの始まりが(伊)ダンテ「神曲」や(伊)ボッカチオ「デカメロン」といった文学であったように、“象徴主義”の発端も、耽美で背徳的な内容の(仏)シャルル=ピエール・ボードレール(1821~1867)の詩集「悪の華」(1857年)であると云われている。

当時のフランスは、自由を謳歌していた市民社会とはいえ、ボードレールは公序良俗を乱したとして罰金刑を受けるけれど、全編に漂う絶望感と倦怠感は、退廃に向かう時代の風に乗り“象徴主義”として以後の文学や美術に絶大なる影響を与えた。(仏)エドゥアール・マネ(1832~1883)の『草上の昼食』(1863年/オルセー美術館)が保守的な美術界から酷評を受ける6年前のことだ。

草上の昼食

美術大国フランスでは、それまで古典絵画の牙城を守りながら自ら革新的な地平を拓き、保守と革新の絶妙なバランスで圧倒的な存在感を見せてきた(仏)ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(1780~1867)の流れを汲んだ(仏)アレクサンドル・カバネル(1823~1889)や(仏)ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825~1905)が君臨していた。

彼らが美術アカデミー主催の官展(サロン)で、前述の『草上の昼食』を落選させたことが騒動になって、“印象派”が生まれて、“アール・ヌーヴォー”に繋がったことは、ボードレールのお蔭さまかもしれないと言うと、これもやっぱり少し過言だ。

ボードレールが“ラファエル前派兄弟団”の“やんちゃ”から影響を受けていたかどうかは僕の勉強不足で不明だけれど、それまで油彩画を描いていた(仏)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックがポスター芸術に挑戦する背中を押したのも、逆に(捷)アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)がポスター美術での成功を捨てて、母国チェコの為に全20作にも及ぶ連作の油彩画『スラブ叙事詩』(1910~1928年/プラハ国立美術館)を描いたのも、イギリス発の“やんちゃ”だと言えないこともない。

もちろん“印象派”の反動である“象徴主義”を代表する(仏)ギュスタヴ・モロー(1826~1898)も“ラファエル前派兄弟団”が巻き起こした、混沌の中から現れたと言えないこともない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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