世界の美術館

【コラム】美術の皮膚(159)ベネツィア派~革命のヴィーナス~

今までの連載はコチラから

16世紀最大の巨匠ティッツィアーノが、ジョルジョーネの弟弟子ということは、共にベッリーニの弟子ということなのだけれど、師匠のベッリーニは2人の才能を認めて、自らが教えるよりも意図的にジョルジョーネに弟弟子の面倒を見させたから、師匠よりもティッツィアーノはジョルジョーネを信奉さえしていた。

ティッツィアーノに多大な影響を与えたと云われているジョルジョーネ最晩年の作品『三人の哲学者』(1508-1509年/ウィーン美術史美術館)も、その解釈が未だに喧々諤々と議論されていて、“3”の表す寓意は「人生の3つの段階(老年/壮年/青年)」だとも「哲学の3つの伝播の順番(ギリシア/アラビア/ルネサンス)」だとも云われている。

三人の哲学者

19世紀までは「新約聖書」でイエス・キリストの誕生を祝福した「東方の3博士」で落ち着いていたらしいけれど、今では反キリスト教のメッセージさえ描き込まれているという専門家もいたりして、ますます混迷しているようだ。

嵐(テンペスタ)』(1505ー1507/アカデミア美術館)についてお叱り覚悟で勝手な解釈をした勢いを借りて言えば、個人的には、意味ありげな3人が画面の右隅に描かれているから、やっぱり主役は美しく描かれた自然で、彼らが誰だとしても主題は「ちっぽけな人間」ではないかと思うけれど、こんな大雑把なことを言うと本当に叱られそうだから大きな声では言わない。

嵐(テンペスタ)

ただ『三人の哲学者』もヴェネツィア貴族からの注文らしいから、庶民が豊かだったオランダ絵画黄金期や印象派の時代には、宮廷や教会に飾られるような荘厳な絵ではなくて、風景画や風俗画が好まれたように、豊かな自然に暮らす人々の日常を描いた作品なのかもしれないと少しだけ思っている。

数少ないジョルジョーネの作品と云われている『三人の哲学者』だけれども、実は彼の弟子が師の死後に完成させて注文主に納品したとも云われている。恐らく、生前から人気のあったジョルジョーネは多くの注文を抱えて多忙を極め、いくつかの作品を同時に創作していたのではないかと思われるから、描きかけのまま残された作品も数多くあったに違いない。更に、享楽的な暮らしをしたとも云われているから、遅筆であったのかもしれない。

眠るヴィーナス』(1510年頃/ドレスデン美術館)も、早世した兄弟子の死を誰よりも悼むティッツィアーノが加筆して完成させたと云われている。しかしこの美談が皮肉にも、ヴェネツィア美術の確固たる方向性を決定したとまで云われているジョルジョーネの作品が特定しにくいもうひとつの理由でもある。
眠るヴィーナス

ただでさえ人気のジョルジョーネの画風を真似る後進たちが引きも切らず現れる中で、ジョルジョーネを信奉しただけではなく、後に16世紀最大の巨匠とまで呼ばれたティッツィアーノが未完成の作品に加筆したとなれば、もはや特定することさえ無駄な気もする。ジョルジョーネが描いたヴィーナスにティッツィアーノが背景を加えた『眠るヴィーナス』は間違いなく西洋美術史上もっとも優美なヴィーナスといえるだけでなく、裸婦像の金字塔でさえある。

とはいえ、キリスト教世界では神話や聖書の一場面としてしか女性の裸を描くことを禁じられていた当時、ヴィーナスは人気の題材であったけれど、のどかな背景に浮かび上がる『眠るヴィーナス』の妖艶さは群を抜いているから、ヴァチカンから離れたヴェネツィアでなければ描けなかった衝撃作でもある。

ヴィーナスの誕生

同時代にフィレンツェでボッティチェリ(1445~1510)が描いた『ヴィーナスの誕生』(1485年頃/ウフィツィ美術館)のように、ヴィーナスは当たり前のように立像で描かれるべき存在で、横たわり無防備に瞳を閉じるヴィーナスは前代未聞であったに違いない。いや、もしかしたら彼女はヴィーナスでさえないかもしれない。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
    スポンサードリンク

これまでの「美術の皮膚」