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【コラム】美術の皮膚(56)「おしゃべりな絵画~絵画の持つ情報量~」

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絵画の価値をその作品の持つ“情報”の量だと仮定して考えると、けっこう当たり前だとも思えてくる。長い間、鑑賞者を飽きさせないのは“情報”の量だと思うし、なんならたった個人の“好き嫌い”だって、なんらかの“情報”に気持ちが反応したからだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に秘められた“情報”の多さは、映画「ダ・ヴィンチ コード」にもなってる。ギリシア時代の偉大な哲学者プラトンが「美に対する精神的な愛(プラトニック・ラブ)によって、人は神に近付くことができる」と言っているのに、人知を超えた“美”を“情報量”に言い換えるなんて恐れ多いから、最初に“お金”の話をして誤魔化したりする配慮を僕は怠らない。

作品の持つ“情報量”といえばすぐに、印象派、マティス、ピカソにも大きな影響を与え 、近代絵画の創始者とも云われる(西)フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746~1828)を思い出す。

写実的な作風で、「バロック美術」に代わって当時のヨーロッパで流行していたフランス王宮芸術に端を発する「ロココ美術」に飽き気味だったスペインで人気を博し、主席宮廷画家まで上り詰めた。

しかし、反骨の画家だったゴヤは一方で、数々の問題作も描いている。

裸のマハ

もっとも有名な作品が『裸のマハ』(1795~1800年頃/プラド美術館蔵)だ。ゴヤは西洋絵画史上で初めて“生身”の女性の“裸”を描いた。

鏡をみるヴィーナス

それも、カトリックの厳格な教えを政治利用していたスペインでだから、みつかれば宗教裁判にかけられる。だからスペイン絵画の歴史には“裸婦像”はほとんどないし、(西)ベラスケス鏡を見みるヴィーナス』(1648~1650年頃/ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)のように、数少ない裸婦像も神話や聖書の一場面でしか描かれていない。

ヴィーナスの誕生

スペイン以外のヨーロッパ諸国でさえ(伊)ボッティチェリヴィーナスの誕生』(1485年頃/ウフィツィ美術家)、(蘭)レンブラント『ダナエ』(1646~1647年/エルミタージュ美術館蔵)は、神話の女神としてしか“裸婦”は描かれていない。

しかも、『裸のマハ』の“マハ”は女神の名前じゃないどころか「粋な女」という意味だから、言い訳はできない。

この頂点を極めた反骨の画家の人生もまた、それほど順風満帆だったとは言えない。いくつもの逆境を乗り越えた彼の“反骨”の理由を、出身地に求める説もある。

かつてアラゴン王国のあったスペイン北部のフエンデドトスという町の気質が“頑固”で“負けず嫌い”らしい。アラゴン国民にしてみれば迷惑な話だし、もちろん僕は行ったことがないので確認できていない。

ゴヤはその町で金の装飾職人の家に生まれ、父の影響で絵を描き始める。17歳の時には、本格的に画家を目指してマドリードに出て、王立アカデミー主催のコンクールに出品したものの2度落選してしまう。

しかし、“負けず嫌い”だから諦めない。入選のご褒美でもあったイタリア留学に自費で行こうと、今でも残る世界最古のレストラン「ボティン」(1725年創業)で皿洗いのアルバイトをしながら貯金を始める。国が出さないなら自分で勝手に行くとばかりの“反骨”だ。

ようやく24歳の時に念願のイタリア遊学に出て、15世紀に(フランドル)ヤン・ファン・エイク(1390~1441)が油絵を発明してからは、あまり使われなくなってしまった、漆喰の上に水彩画を描く伝統的なフレスコ画を学んだり、数々のルネサンス期の名画から影響を受けて、(伊)パルマ市主催のコンクールに入賞する。

マドリードの敵をパルマで討ったゴヤは「著名な作品を自分なりに観賞する以外に、教師を持ったことがない」と言ったそうなので、若い頃にゴヤが師事していた地元の画家の面目は丸潰れだけれど、確かに“反骨”だ。

ちなみに生ハムやチーズ、パスタで有名なパルマ市は、2015年に“麺”繋がりで「うどん県」香川と交流協定を結んだという情報を言いたい僕は、絵画よりもおしゃべりだ。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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