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【コラム】美術の皮膚(51)「盗難絵画⑨~国賊から一転して英雄へ~」

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第二次世界大戦が終わった1945年5月29日、オランダの画商メーヘレンは、敵国ナチス・ドイツに『キリストと悔恨の女』などを売った罪で、重罪を求刑されていた。20世紀に再評価進んだフェルメールの人気は、特にオランダ国内でも高くて、この国賊の行く末を国中が注視していた矢先に、牢獄でメーヘレンは言い訳にも似た告白を始める。

「自分が売ったフェルメールの絵は、すべて自分が描いた贋作だ」と。

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エマオの晩餐/image via wikipedia

しかし、既に彼がボイスマン美術館に売った『エマオの晩餐』は、専門家の間でもフェルメールの最高傑作と評価されているのだから、重罪を逃れるためにより軽微な詐欺罪で逃れようとする奇天烈な言い訳だと、誰もが耳を貸さなかった。

そこで彼の採った行動は、牢獄の中で「贋作」を実際に描いてみせることだった。元々「没落貴族から買い取った」という胡散臭い作品の出自もさることながら、17世紀の画材を使ったり、古びて見える薬剤の加工についての「ノウハウ」も披露して、巧みな筆致で宗教画『寺院で教えを受ける幼いキリスト』を描き上げると、彼が贋作だと認めた作品群について最新の科学的な鑑定が行われ、結果申し立ては認められることになる。

贋作を買い上げてしまった、美術館やオランダ政府は赤恥をかくことになるけれど、メーヘレンの罪は「フェルメールのサインを偽造した」軽微な詐欺罪に留まった。それどころか、懲役中の彼をオランダ国民は「ナチスを欺いた英雄」だと称賛した。

しかし、悪銭は身につかず、贋作を売ったお金で買った酒と麻薬に蝕まれていたメーヘレンは、せっかく短くなった刑期の最中に心臓発作で亡くなってしまう。

フェルメールに憧れて、フェルメールに成れずに、フェルメールを利用して、一時の成功を手に入れながら、葛藤に満ちた彼の人生は、例えフェルメールの謎を彩る脇役として名を遺したとしても哀しい。

ところで、何故いとも簡単に「贋作」がまかり通ってしまったのかといえば、メーヘレンの歪んだフェルメールへの愛情から生まれた巧みな贋作技術だけではなく、やはりフェルメールを取り巻く時代や状況がおおいに関わっているのだと思う。

元々が謎の多い画家であることはもちろん、古典を否定する「世紀末芸術」の時代に世紀の(古典を愛する)独裁者に愛されてしまったこと、またそのことで20世紀での再評価が進んだこと、そして依然として美術界に「風景画」や「風俗画」よりも「宗教画」を重んじる傾向があったことが考えられる。

また、17世紀に東方から伝わったチューリップの花に、投機的な価値を付けたオランダであることにも関係がある気がする。大航海時代の貿易によって巨万の富を得て「黄金期」と呼ばれる時代を迎えたオランダでは、球根一つが高級住宅一軒と同じ価値があったとも云われている。

人類史上初めてと云われているバブル経済がはじけて一時の反省はしても、300年も時が経てば、同じ黄金期の「フェルメール」に、その夢を再びと思うのは、人間の性なのかもしれない。

実体を持たない投機的な価値の裏側には、リスクに目を瞑る人間の欲が見え隠れする。ヒトは時として、見たくないモノを見ずに、見たいモノだけを見る習性を持っているのだと思う。

答えが解っている今や、彼の「贋作」はとても「真作」には及ばない稚拙なものだと評されているけれど、『エマオの晩餐』ハン・ファン・メーヘレン(ボイスマン・ファン・ベーニンヘン美術館/1936年)は、今もボイスマン美術館に飾られている。

もちろん、大金を払って購入してしまった面子ではなく、大いなる後悔を忘れないためであることは想像に難くない。

(了)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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