世界の美術館

【コラム】美術の皮膚(3)「現代は急に現代なのではなく」

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コンテンポラリー(現代)アートは「時代に寄り添う」アートではないかと考えると、色んなコトが腑に落ちるけれど、もちろん(時代に寄り添った)コンセプトの手前には、人々を惹き付けて止まない素晴らしい表現があるわけで、そこは「美術」というステージからは微塵もブレていないのだろう。

美術を時代や特徴で区分すること自体にほとんど意味はないと思うけれど、そうすることでずいぶんと見えてくるコトがあったりもする。

現代が突然に現代なのではなく、壮大な人類史の流れの中の、ただ今のこの地点でしかないのと同じように、コンテンポラリー・アートをもう少しだけ深く理解しようと思えば、背伸びをしてでも美術史の大きな流れから学ぶしかないのだとも思う。

昔、世界で一番小さな国の、世界最大級の美術館ヴァチカン美術館の学芸員さんが、キリスト教と芸術の関係を説明していたのを聞いたことがある。

不完全な人間は神に憧れ、祈り、作品を通じて完全なる美に挑戦する芸術家たちに畏敬の念を抱き、教会は彼らとその作品を庇護してきたのだと言っていた。特に西洋美術においては、キリスト教的な価値観は重要で、ある大学教授の言葉を借りれば「芸術とはただの感覚で観るモノではなくて、ギリシア神話やキリスト教の基本的知識なくして鑑賞すらできない意味深いものである」らしい。

この清々しいほどの独善には、さすがにさもありなんと頷くしかない。半分くらいしか納得はしていないけれど。

旧約聖書の冒頭にある創世記(第一章)には「神は自分に似せたヒトをつくった」とあるけれど、その後にすぐアダムとイヴは禁断の実を食べてしまい(第三章:失楽園)、ついにはカインが弟を殺して嘘までつくから(第四章)人間に失望した神はノアだけを助けて大洪水によって人間界の粛清を行うけれど、結局その子孫が神に近付こうとしてバベルの塔を建て始めて...

バベルの塔

バベルの塔はピーテル・ブリューゲル(父)に代表されるように数々の作品に描かれているけれど、それが神の怒りに再び触れて、人々は互いの言葉が通じない集団に分断されて、世界中の土地に分かれて住むようになるのだから、完全な神に対して、それに似せて創られた人間は不完全だと云う話になってる。

とはいえ西洋美術に関していえば、人間が本当に自らの不完全さに気付くという大きな流れがやって来るのは、20世紀に入ってからだと僕は思っているのだけれど、それはまさにコンテンポラリー(現代)アートへと繋がっていくモダン(近代)アートの頃だ。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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