コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(133)ゴッホとゴーギャン~ピンチはチャンス、でもチャンスもピンチ~

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‟ナビ派”の創始者(仏)ポール・セリュジェ(1864~1927)が、「見えた色をそのままキャンバスに置きなさい」というゴーギャンの言葉を昇華させて描き上げたのが『タリスマン』(1888年/オルセー美術館)だ。“総合主義”の特徴である太い輪郭線(クロワゾニスム)はそこにはなく、それまでの絵画にはなかった革新的な抽象性によって画面の中で色の調和こそを表現した傑作だから、ゴーギャンの指導の下ではなくあくまで「昇華」させたのだと強く思う。

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「タリスマン」 image via wikipeda

私事ではあるけれど、懇意にしている画家の木村タカヒロ氏に、絵を描いてみたらどうだと勧められて、躊躇する僕に向かって彼が「見えた色をキャンバスに置いていけば良いんですよ」と“神託”を与えてくれたのだけれど、もちろんポール・セリュジェのような才能を持ち合わせていない僕は描くことができなかった。当たり前だけれど。

『タリスマン』にポール・セリュジェが付けた原題は『ポン・タヴェンの愛の森』であったけれど、ポン=タヴァンの画家たちが、この作品を新しい美術の指標として、賞賛を込めて『タリスマン(護符)』と呼んだため、今ではそう呼ばれている。27㎝×21.5㎝の、まさに護符サイズの小作だけれど、単純化された平面的な「森」に、宗教的な静謐ささえ感じてしまうから、“象徴主義”から“抽象絵画”へと続く大きな美術史の流れの中で、大きなランド・マークになっている作品に違いないのだと思う。

しかし、それほどに大きな評価につながっていない理由も、もしかするとゴーギャンが「この私が指導した」と余計なことを言ったからではないかと思ってるけれど、言わない。もちろん、作品は作品として評価されるべきだろうけれど、描くのも人間、観るのも人間だから、何をどう描いたかよりも“誰が”描いたかで評価が変わるのは残念ながらよくあることだ。

こんなに素敵な絵にインスピレーションを与えた当のゴーギャンは、どの口が言ったのかというほど迷走していた。

ゴーギャンは、パリの株式市場が大暴落して画家に転身しようとしても上手くいかず、妻の収入に頼っていながら謙虚さの欠片もなく、印象派の仲間を侮辱してパリを追われパナマに逃げた。『タリスマン』が描かれた1年前のことだ。“逃げた”なんて書くとゴーギャンに激怒されるかもしれないと思うのは、パナマに向かう時に糟糠の妻に宛てた手紙に

「私の芸術家としての名声は日々高まっている。ただ、その一方で3日間寝食を忘れることもありこのままでは身体だけでなく気力も尽きてしまう。気力を取り戻すために野生の中で暮らすべくパナマにわたる」

と書いてあったからだ。しかし、これは真っ赤な嘘で、同年ゴーギャンはパナマで破産して強制帰国を命じられる。それどころかその途中で船を降りて勝手にマルティニーク島に逃亡する始末だ。まったく現実を受け入れられないから、やはり迷走だといっても過言ではないと思う。図星であればあるほどきっと人は激怒する。

9週間で終わったゴッホとの共同生活には、他に理由もあるのだろうけれど、パリ、デンマーク、パナマ、アルル、タヒチと根を張らないゴーギャンの性分に、元船乗りあった冒険者の側面を理由に挙げることもある。とはいえ創作のための旅であれば、画家としての糧にもなるのだろうけれど、いつも追われて逃げている。それほど本当に画家仲間だけでなく周囲からゴーギャンは疎ましがられていた。それは独り善がりのゴッホと似ている。

それでも時々神さまは見放さずにチャンスを与えてくれたりする。ゴーギャンがマルティニーク島で描いた作品を偶然パリで見かけたゴッホと画商であったその弟テオは、それをとても気に入り、テオは自分の勤めていたグーピル商会でその絵を買い上げ、顧客を紹介してあげたりもした。

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「川辺にて」 image via wikipedia

それがどの作品か不勉強で確信はないけれど、今でもオランダのゴッホ美術館には、ゴーギャンがマルティニーク時代に描いた作品『川辺にて』(1887年/ゴッホ美術館)、『マンゴー摘み』(1887年/ゴッホ美術館)が所蔵されている。

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「マンゴー摘み」 image via wikipedia

兄のゴッホもゴーギャンと手紙を通じて親交を深めたのだけれど、後に大騒動に発展することになるとは、神のみぞ知るところでゴッホ兄弟は思いもしない。チャンスも受け取る側によっては、簡単にピンチになったりする。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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