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【コラム】美術の皮膚(25)「近現代のご長寿画家たち②~ジャポニスムと相思相愛のモネまで~」

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ゴシック期のチマブーエから、ポップアートのアンディ・ウォーホールまで、約300人の画家たちを表計算ソフトに入力した、たった私的なデータを元にして、近現代を80歳以上生きた画家たちは下記の30人。現代の平均寿命(71.4歳)より生きた画家を加えると50人いる。

91歳(伊)フランチェスコ・アイエツ(1791~1882)

19世紀イタリア・ロマン主義を代表する画家。西ローマ帝国崩壊後、意外なことに19世紀まで統一されていなかったイタリアで、国家統一運動家たちと交流を持ち、古典的な写実でありながら物語性の高いロマンチックな歴史画を描いた。

オーストリアからの独立戦争の真っ最中に描かれ、寓意に満ちた『接吻』(ブレラ美術館/1859年)は、僕の知る限り最もロマンチックな作品のひとつだ。晩年は『接吻』の飾られているブレラ美術館に併設されているブレラ美術学校の校長を務めている。リスト中5番目のご長寿。

80歳(仏)ジャン=レオン・ジェローム(1824~1904)

仏美術アカデミーの規範であった新古典主義とロマン主義の融合を目指すアカデミック美術の画家ドラローシュに師事し、自身もアカデミズムを代表する画家になり、宮廷画家に抜擢される。

東方への旅をきっかけに、異文化の風俗画を描くようになり、さらにそれがフランスの帝国主義を肯定するプロパガンダに使われるなど(本人は不本意だったかもしれないけれど)当時のフランスを象徴する画家として国家的な名声を得る。

80歳(仏)ウィリアム・アドルフ・ブーグロー(1825~1905)

ジェロームと共に仏アカデミック美術を代表する画家。

25歳で「ローマ賞」を獲得するとフランスの国費で美術留学し、後に(仏)国立美術大学「エコール・デ・ボザール」の教授も務めるなど、当時の仏美術界のエリートでもあった。ナポレオン3世に肖像画を依頼されるなど、19世紀後半で最も活躍した画家だったにもかかわらず、後期印象派が台頭してくると、アカデミズム美術自体が衰退して、ジェロームと同様に忘れ去られてしまう。しかし、ローマ留学時代にラファエロから大きな影響を受けた作品は「最も人物を美しく画家」として、近年になって再評価されている。

83歳(伊)ジョヴァンニ・ファットリーニ(1825~1908)

出身のトスカーナ地方からフィレンツェに出て美術を学ぶ。近代イタリア絵画の最初の革新的な美術運動「マッキア(染み)」派を主導した。マッキア派は、フランス印象派にも通じると云われている明暗のはっきりした色を、粗い面を使って描くのが特徴。

83歳(英)ウィリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)

(英)ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)、(英)ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1828~1882)らと共に、(英)国立美術アカデミーの古典偏重に反発して、ルネサンス美術を完成させたと云われる(伊)ラファエロ以前の、初期ルネサンスやフランドル美術といった素朴な時代に回帰しようとした「ラファエル前派」の創立に参加した。

後にアカデミーに参加したミレイに比べて、ハントはラファエル前派の理念に忠実であり続け、自然に即した写実的な絵を描き、聖書の題材を求め東方へも旅している。ラファエル前派自体は、象徴主義の先駆でもあり、後に興る(英)クラフト・アンド・アーツ運動にも影響を与えるなど、印象派と並ぶ一大美術運動だったが、明確な美術理論を持たなかったため5年程度しか続かなかった。

83歳(仏)エドガー・ドガ(1834~1917)

アイロンをかける女たち

伝統的な仏国立美術学院に反発した「印象派」を代表する画家の一人で、官展とは一線を画した「印象派展」にも、全8回中第1回から第7回まで参加している。しかし、印象派の特長である自然光の射す屋外での創作には否定的で、ガス灯のような人口の光を多く描いた。

デッサンを重視し、室内で入念に制作したのは(仏)ドミニク・アングル(1780~1867)の教えに従っていると云われ、作品には風景画もほとんどなく、踊り子や浴女といった、当時のフランスの日常生活に題材を求めた。

確かなデッサン力に裏付けられた作品は、本人が「現代生活の古典画家」を自称したように、パリに住む人々の生活の中の一瞬を切り取り、時に大きな欠伸の最中だったり『アイロンをかける女たち』(オルセー美術館/1884-1886頃)、風呂上がりに背中を拭いている最中だったり『背中を拭く女』(国立西洋美術館/パステル・素描/1888-1892頃)、日本の浮世絵にも影響されたと云われている少し意地悪な構図は、むしろ独特で秀逸だと思う。

普仏戦争に参加した際に目を患い、戸外の制作が苦手だったとも云われるが、むしろそれを補うように発色の強いパステル画を描き、パリの夜の空気を見事に表現した名作も多い。晩年はほとんど視力を失うけれど、創作への意欲はなお旺盛で、習作としての「踊り子」「馬」の塑像や彫刻がドガの死後アトリエから見つかっている。

86歳(仏)クロード・モネ(1840~1926)

印象、日の出

印象派を代表する巨匠。1874年にドガルノワールらと共に開催した、官展と一線を画す独自の展覧会に『印象、日の出』(マルモッタン美術館/1873)を出品し、それが印象派の代名詞にもなった。

(仏)ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875)、(仏)ウジェーヌ・ブーダン(1824~1898)をはじめとする外光派の画家たちに影響を受けて、自然光の下での創作を好み、明るい光を描くために、絵具をパレットで混ぜないで、キャンバスの上に隣り合わせで置くことによって表現する「筆触分割」の手法を採るなど、モネの色彩と光の探求は、そのまま印象派の軌跡とも云われている。闇との対比で光を描いてきたそれまでの技法に革新を起こした。

時間の経過とともに光の移り行くさまを描いた「積みわら」「ポプラの木」「ルーアン大聖堂」や「睡蓮」の連作は、モネの代表作でもあるけれど、個人的にはフランス初の駅舎である『サン・ラザール駅』(オルセー美術館/1877年)に、光や蒸気と共に描かれた、当時のフランスの「空気」が印象的だ。

モネの日本贔屓は有名で、第二回印象派展に出品された、その名も『ラ・ジャポネーズ(日本の女性)』(ボストン美術館/1876年)は、畳や団扇という日本趣味を背景にして、着物姿の妻カミーユを描いた作品で、2014年に「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」(世田谷美術館)で日本にもやって来ている。

その時に同行してくれた美術アカデミーの理事はその絵の前に来ると小さな声で「モネ本人は、まだ日本を深く理解できていない時の作品だと、納得していなかったんだよ」と僕に教えてくれた。

モネが亡くなるまで43年間住んだジヴェルニーの自宅兼アトリエにも、現在その全てがマルモッタン美術館に所蔵されている100点を超える浮世絵が飾られていたし、「自分の最高傑作は庭だ」とモネ自身が言った自宅の庭は、英国式の庭(花の庭)と共に、太鼓橋や柳の木で飾られた日本式の庭(水の庭)も造られていて、晩年はこの庭の池に浮かぶ『睡蓮』を描き続けたのだから、ただの日本贔屓で片付けてはいけないかもしれない。

日本人の最も好きな画家として、モネが度々選ばれているのを見るから、モネの想いは遠く日本に届いていて、時間も場所も超えた幸せな相思相愛なのだということなんだろう。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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