コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(111)「ロートレック~アンリとエドガー~」

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愛する父親に疎ましがられてしまった少年ロートレックだったけれど、それでも父親に褒められたくて、健気に絵を描き続けるのだから可憐らしい。特に、憧れだった父親が馬車を駆る姿をよく描いた。もちろん、その恋慕は傲慢な父親に届くはずもなく、不自由な体で孤独な青春時代を送ることになる。ただ、この時に動きの激しい「馬」を描くことによってロートレックのデッサン力は格段に向上する。

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ロンシャンの競馬 / エドガー・ドガ image via wikipedia

「上手い画家は馬を描くんだよ」って美術アカデミーの藤ひさし師匠が仰ってたことを思い出した。例えば、同時代であれば、バレリーナの一瞬の動きを描いてみせた(仏)エドガー・ドガ(1834~1917)も、実は素敵な馬の絵が多い。線描を重視したアングル派に師事しながらも、色彩のドラクロアの流れを汲んだ印象派と組した偏屈なドガと、ロートレックは、他にも共通点が多い。

とはいえ、社交的なロートレックに比べて、気難しい一匹狼のドガとの直接的な接点は見られないけれど、一瞬の動きを卓越したデッサン力で切り取って、時には少し意地悪ささえ感じてしまう不格好な姿勢の人物を描いたということだけではなく、作品の中にも、似た描写が見られる。

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ムーラン・ルージュにて / image via wikipedia

ロートレックが『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』の1年後に描いた油彩画『ムーラン・ルージュにて』(1893年/シカゴ美術館蔵)の画面手前右側には、不気味な青い顔をした女性が描かれている。そして、ドガも『カフェ・コンセール、レ・ザンバサドゥール』(1877年/リヨン美術館)や、『スター、舞台の踊り子』(1877年/オルセー美術館蔵)で、舞台の歌手やバレリーナの顔を殊更に青白く描いている。もちろん、それぞれ同じ女性ではないけれど、これは当時普及していたガス灯の青白い光に照らされた女性の顔だ。いくら写実だとはいえ、この表現に少しばかりの悪意を感じるのは僕だけではないはずだ。

スター、舞台の踊り子
スター、舞台の踊り子」 / エドガー・ドガ

ドガは、気取ったパリの人々を皮肉って「しょせん人間も動物なのだ」と、これも当時出版されたダーウィンの「種の起源」(1859年)を引用して、特に美しい女性の内包する獣性が人工灯によって浮き彫りになるといった表現を度々していると聞いたことがある。人物の内面や才能を「総合化」して描いたロートレックのことだから、青い顔の女性にやはり何らかの悪意を持って描いているに違いないと、僕は勘ぐっている。少なくとも、印象派の画家たちが陽光を求めて戸外で創作していたのに対して、ロートレックもパリの夜を描いている。

ドガは、普仏戦争に従軍した時に眼を患ってしまい、強い光が苦手だったこともあるけれど、ロートレックの場合は少し事情が違う。類い稀なデッサン力で踊り子たちの一瞬を描いたものの、ロートレックの描くポスターは決して彼女たちを美しく描いたわけでもないのに、人気があった理由のひとつでもあるけれど、彼は「大自然の中で暮らすことこそが健全なのだ」と貴族の生活を謳歌していた父親への意趣返しで、望んで夜のパリの退廃感に浸っていったに違いない。

そして、表面的な自由を楽しんでいるパリの光の裏で、光を支えながら闇の中を懸命に生きている「踊り子」や「洗濯女」といった、思うに任せない人生を生きる仲間として、社会的弱者たちへの深い共感を持っていたからこそ、その距離感が数々のポスター画を生み出したのだと思う。

化粧
化粧」/トゥルーズ=ロートレック

もちろん、ポスター画だけではなく油彩画やパステル画にも素敵な作品が多い。その代表的な作品『化粧』(1896年/オルセー美術館)は、恐らく女性にとって外出や社交のために前向きな高揚感を含んだ準備が「化粧」だと思うのだけれど、モデルの娼婦にとっては決して同義ではない、むしろひと時の安息の時間であったりするその瞬間を描いている。その無防備な背中を描かせる心の距離感こそが、ロートレックの真骨頂だ。

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出現 / image via wikipedia

一般的に、19世紀パリの市民社会の華やかさを描いた印象派に対して、物事にはすべて表裏があるのだと、幸福の裏にある不安、可憐の裏にある残忍さを、神話や聖書の一場面を象徴として描いた(仏)ギュスターヴ・モロー『出現』(1876年/オルセー美術館蔵)のような象徴主義が、19世紀末美術を代表すると云われているけれど、お叱り覚悟で言えば、まだアカデミズムの匂いの残る象徴主義ではなくて、ロートレックの描いた何気ない光と影こそが、19世紀のパリを代表する画家だと僕は思っている。それほどに、彼の作品は見た目の気品とは別に、挑発的に19世紀末のパリを表現している。そしてなによりも、愛に溢れていると思うからだ。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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