コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(163)ベネツィア派~継がれる進取の気性~

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ベッリーニ、ジョルジョーネティッツィアーノに続くティントレット(1518~1594)は、ティッツィアーノの弟子であっただけではなくて、ジョルジョーネの助手もやっていたそうだから筋金入りのヴェネツィア派だ。

その才能は、師であるティッツィアーノも嫉妬するほどだったと云われているけれど、更に新しい挑戦をするために工房から独立する。そうしなければ師匠のティツィアーノ陰に隠れて埋もれてしまったであろうから得策だ。何に挑戦しようとしたのかは、ご本人に確認しないと本当のところは判らないのだけれど、例えば『最後の晩餐』(1592~94年/サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会)には、その片鱗が垣間見える。

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最後の晩餐」/ image via wikipedia

『最後の晩餐』は、ルネサンス期フィレンツェの人気画家ドメニコ・ギルランダイオ(1449~1494)やレオナルド・ダ・ヴィンチといった巨匠たちも好んで描いた画題ではあるけれど、それぞれの代表作でもある『最後の晩餐』と比べると、その違いがはっきりと解る。

Domenico ghirlandaio cenacolo di ognissanti 01
最後の晩餐」/ image via wikipedia

ギルランダイオ『最後の晩餐』(1480年/オンニッサンティ教会)

Leonardo da Vinci 1452 1519 The Last Supper 1495 1498
最後の晩餐」/ image via wikipedia

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』(1495~98年/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)

特にギルランダイオはフィレンツェの画家の中でも、画面に実在の人物や日常生活が描き込むから、世俗性が感じられると云われているけれど、ヴェネツィアのリアリズムに比べると可愛いものだなんて言うとお叱りを受けそうなので言わない。ただ、実際に見比べていただければ説明も要らないほど、ティントレットの『最後の晩餐』は、晩餐が行われているテーブルを画面手前から奥に向かって斜めの構図で描いていて、しかも人工的な光の効果を使って現実と空想が入り混じった描写になっている。

Jacopo Tintoretto Marriage at Cana WGA22470
カナの婚礼」/ image via wikipedia

そして『カナの婚礼』(1561年/サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会)も、カナの地で催された結婚式に招かれたイエス・キリストが「水をワインに変える」最初の奇跡を起こした場面にも関わらず、独特の構図と光で最近あった祝宴みたいなリアリティを含んでいる。

天国
そして、ダンテ「神曲」から着想したと云われている晩年の作品『天国』(制昨年不詳/ヴェネツィア・アカデミア美術館)は、まさにティツィアーノの色彩とミケランジェロの様式を採り入れた世界最大級(7m×20m)の超大作であるだけではなく、次の世紀に訪れる「絵画黄金時代」」バロック美術の先駆であるとさえ云われている。

もう一人、はじめからティツィアーノの弟子ではないけれど、ティントレットと親しかったパオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)は、出身こそ(名前の由来にもなっている)ヴェネツィア共和国ヴェローナだけれど、ローマの息がかかったパルマで絵を学んだから、マニエリスムとヴェネツィア派を融合させた作風で、今ではティツィアーノ、ティントレットと並んでヴェネツィアを代表する画家に数えられている。偉大過ぎるティツィアーノに心酔過ぎず、まさに様式に縛られずに新しいものに挑戦することこそがヴェネツィア派の系譜であり、ティントレットとヴェロネーゼが後世まで名を遺す理由であったに違いない。

特にヴェロネーゼの場合は、デッサン重視で理性に働きかけるルネサンスと、色彩重視で心に直接訴えるヴェネツィア派の良いところ採りをしたから、ひょっとしたら終わりかけていた“フィレンツェ”“ローマ”のルネサンスと、“ヴェネツィア”のルネサンスを結び付けた重要な画家といえるだろう。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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