コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(144)カラバッジョ~庇護と逃亡と~

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長きに渡って悪名が轟くカラバッジョだから、彼に非がないわけもない。マニエリスムを破壊した熱量はキャンバスの外にも及び、とにかく素行は悪かった。イタリア・ミラノの名門スフォルツァ家の女性と結婚したところまでは良かったのだけれど、とにかく喧嘩っ早くて、役人に怪我を負わせるものだから夜逃げ同然でミラノからローマに逃亡する羽目になる。

ローマでは有名な工房で働き類稀なる才能で頭角を現すものの、上手く馴染めず解雇されて路頭に迷う。“馴染めず”とは言ったものの絶対に喧嘩をしたのだと僕は思っているけれど。

The Cardsharps
「トランプ詐欺師」/image via wikipedia

それでも彼の才能を世間が放っておくはずもなく『トランプ詐欺師』(1594年頃/キンベル美術館)がローマ枢機卿のお眼鏡に適うと、あっという間に注文が舞い込み人気の画家になった。中でも、カラバッジョをローマで最も有名な画家にしたのは、富裕層の個人宅に飾られる装飾画ではなく、多くの人が目にする教会からの注文だった。

Caravaggio La vocazione di San Matteo
「聖マタイの召命」/image via wikipedia

北方絵画の影響のような自然主義で写実的なカラバッジョの作品は、ルネサンスの上描きのようなマニエリスムではプロテスタントの脅威に対抗できないと考えていた、カトリック教会に歓迎されたのだと思う。そしてカラバッジョも『聖マタイの召命』(1600年頃/サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂)のような、際立った写実と高い精神性のある作品でそれに応えた。まさにこれこそが宗教改革で劣勢に立たされていたカトリック教会の対抗策であるかのようだ。

Michelangelo Caravaggio 069
「聖母の死」/image via wikipedia

ところが、数々の名作を描いている最中でもカラバッジョの喧嘩っ早さは相変わらずで、作品と同じくらい悪名も響き渡る。それでも教会をはじめとする有力者の後ろ盾があったから、ローマの裏社会でさえ腫れ物に触るように接してきたのだけれど、『聖母の死』(1606年頃/ルーブル美術館)を描き上げた頃、ついに若者を殺めて懸賞金をかけられる。

Michelangelo Caravaggio 025
「エジプトへの逃避途上の休息」/image via wikipedia

もうこうなると教会も庇い切れないから、カラバッジョはナポリに逃亡する。旧約聖書でモーゼが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語と一緒にしてはいけないけれど、『エジプトへの逃避途上の休息』(1597年頃/ドリア・パンフィリ美術館)をミラノ、ローマと逃亡ばかりの自身に重ねて描いたのかもしれないとは思っていても言わない。

ところが、逃亡先のナポリでも名門コロンナ家がカラバッジョを庇護するのだから、その才能は絶大だったに違いない。レオナルド・ダ・ヴィンチを庇護したことでも有名な、仏フランソワ1世にミラノを侵略されたとはいえ、姻戚関係のあった名門スフォルツァ家の威光も関係していたのかもしれないけれど。

Michelangelo Caravaggio 066
「ロザリオの聖母」/image via wikipedia

カラバッジョはナポリでも精力的に教会からの依頼に応え『ロザリオの聖母』(1607年/ウィーン美術史美術館)をはじめとした宗教画を制作した。しかし、いかんせん昔の悪行を消すことはできなかったようで、懸賞金目当てのローマからの追っ手に身の危険を感じたのか、それともナポリでも問題を起こしたのか、数か月でマルタに移りマルタ騎士団に身を寄せた。

教会の威厳を借りられなくなったので、イスラム勢力からキリスト教社会を守るために組織された武装勢力を味方に付けようとした手練手管は、さすが喧嘩慣れしている。

騎士団長も、既にイタリア中で(色々な意味で)有名な画家が何故いまさら騎士になろうとしているのか?と疑うよりは、オスマン帝国のイスラム勢力や宗教改革の波に圧されて弱体化した騎士団に、高名な芸術家を迎えることをメリットと感じて歓迎した。

Portrait of Alof de Wignacourt and his Page Caravaggio 1607 1608
「アロフ・ド・ウィニャクールと小姓」/image via wikipedia

マルタでもカラバッジョはその恩義に報い、騎士団の団長を描いた『アロフ・ド・ウィニャクールと小姓』(1608年頃/ルーブル美術館所蔵)や、最高傑作にして最大の祭壇画、唯一自身の署名を加えている『洗礼者ヨハネの斬首』(1608年/聖ヨハネ准司教座聖堂)の作品で応えた。

La decapitación de San Juan Bautista por Caravaggio
「洗礼者ヨハネの斬首」/image via wikipedia

絵の才能に恵まれたことに頼りきりの野放図な生き方こそが、バグリオーネの嫉妬に火を点けたならば皮肉なことだけれど、そんなに上手くいくはずはない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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