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【コラム】美術の皮膚(14)「革命の画家たち①」

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作品の細部について画家同士の「影響」を紐づける専門的な研究は、日々行われていると思うけれど、影響を「受けた」と本人たちに確認する術がないのを良いことに、ただ「数字」を頼りの好奇心に駆られて「19世紀以前に後世に影響を与えた画家」ベストテンの画家たちを時系列でもう少し追ってみる。

ルネサンス黎明期(フィレンツェ派/ゴシック美術)

(伊)ジオット・ディ・ボンドーネ(1266頃~1337)

12世紀半ばに今のパリを中心に興ったゴシック美術最大の画家で、その作品の立体感や表現力でルネサンスの幕開けに大きく寄与したと云われている。

ゴシック美術が、イギリス、ドイツ、スペインを経て15世紀頃にイタリアに届くと、イタリア絵画の創始者として有名な(先輩だけど)チマブーエ(1240~1303)にも大きな影響を与えるのだから、その後の間接的な影響は計り知れない...

15世紀北方絵画(初期フランドル派)

(フランドル)ヤン・ヴァン・エイク(1390~1441)

宰相ロランの聖母

油彩画を革新的に発展させた功績で、油絵具の発明者とまで云われている。また、自身の作品に初めて署名や制作年月日を描き込んだり、前述の「アルノルフィーニ夫婦」や「宰相ニコラ・ロランの聖母子」(1435頃/ルーブル美術館所蔵)に見られるように画面の中心奥に何か気になるモノを描いたり、床を斜めの格子文様で描いて、観る者をまるで絵の中に引き込むような仕掛けをしている。

個人的にはもっと上位でもおかしくないとは思うのだけれど、「神の手を持つ男」と称される緻密な作風が、他の追随を許さない孤高の画家にさせているのかもしれない。特徴のある作品の中で、「アルノルフィーニ夫婦」(1434/ロンドンナショナルギャラリー所蔵)は、大ヒットした海外ドラマ「デスパレートな妻たち」のオープニングに使われていたりもする。

15世紀北方絵画(初期フランドル派)

(フランドル)ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399頃~1464)

ウェイデンの名前は知っていたけれど、恥ずかしながら15世紀の北方絵画においてもっとも影響力のあった画家という評価は、このリストに登場してきてから改めて知った。ロベルト・カンピン(1380頃~1444)、ヤン・ヴァン・エイク(1390頃~1441)とともに初期フランドル派を代表する三大巨匠であり、当時の人気はヤン・ヴァン・エイクを凌いだとも云われている。

「低い土地の国々」を意味するネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルク辺り)絵画史の革新者であるカンピンの工房に弟子入りすると、若くして頭角を現し自身の工房を立ち上げた。同時代のヤン・ファン・エイクの作品とは以って非なるのは、カンピン譲りの写実性にゴシック美術的な精神性を融合させているからだと云われている。

15世紀北方絵画(初期フランドル派)

(フランドル)フーゴ・ファンデル・グース(1440頃~1482)

ヤン・ヴァン・エイク以降のフランドル絵画を代表する画家で、卓越した油彩画は後のイタリア美術に大きな影響を与えたと云われている。

また、芸術家で作る組合長まで務めたように、後進たちの面倒見も良かったのだろうかと勝手に想像してしまうけれど、人気絶頂の最中に組合を辞めてしまったり、晩年は同郷フランドルの巨匠ヤン・ヴァン・エイクへの劣等感や、私生活でのトラブルから精神を病んで自殺騒ぎも起こしている。

その頃の作品『聖母の死』(ブルッヘ市立美術館/1481頃)には、自身の苦悩や死のイメージが重なった傑作になっていると思うのは、僕だけではないはずだ。

そして前述の初期ルネサンス(パドヴァ派)(伊)アンドレア・マンティーニャ(1431~1536)は「短縮法」を発明し、盛期ルネサンス(フィレンツェ派)(伊)レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)は「空気遠近法」を完成させた。

北方ルネサンス

(独)アルブレヒト・デューラー(1471~1528)

ドイツ美術史上最大の画家と呼ばれ、ドイツでの画家の地位を職人から芸術家に高めたと云われている。

初めて純粋な自画像や風景画を描いた画家であり、作品中に自身のイニシャル(AとD)をデザインしたモノグラムを採用したことでも知られている。また、多くの版画を残したことで、印刷された作品が広く伝播し、彼の知名度を広めるのに一役を買った。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター

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