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【コラム】美術の皮膚(59)「おしゃべりな絵画~尽きない情報量~」

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裸のマハ

本当のモデルは、肖像画を描いたのがきっかけで親密になったアルバ侯爵夫人ではないかと云われている。主席宮廷画家と、一回り以上年下の侯爵夫人の道ならぬ恋もかなりスキャンダラスだ。しかも、アルバ家は南スペイン・アンダルシア地方にある、大航海時代に要衝であった河口の街サンルーカル・デ・バラメダを発展させたスペイン屈指の名家だ。ゴヤは恋愛に対しても“反骨”であった。

1796年にアルバ侯爵夫人は若くして未亡人となり、喪に服するためアンダルシアの別荘に移ると、ゴヤもその後を追って逢瀬を重ねる。ゴヤが死ぬまでアトリエに秘蔵していた『アルバ侯爵夫人』(1797年/ヒスパニック・ソサエティ・オブ・アメリカ蔵)は、その時に描かれている。

そして、この作品の「おしゃべり」は解りやすい。彼女の指輪には「ゴヤ&アルバ」の文字が刻まれていて、その指さす先の砂浜には「Solo Goya(ゴヤだけを)」と書かれている。

しかし、ほどなくして二人は別れることになるのだけれど、アルバ侯爵夫人は40歳の若さで急死してしまい、ゴヤが生涯彼女を忘れることができなかったのは、彼の作品の「おしゃべり」が教えてくれる。

フランスからの独立戦争(1808~1814)が終結した後に、ゴヤは72歳でマドリード郊外に居を移すと、自分のための絵を描くようになる。住まいの壁をキャンバス代わりに描いた14枚の作品群はその暗い色調から「黒い絵」と呼ばれ、観る者に不安を与える表現がシュルレアリスムの先駆とも云われている。

わが子を食らうサトゥルヌス

ゴヤの代表作でもある、ローマ神話の(大地の神)サトゥルヌスは「わが子に殺される」という予言を信じて生まれてきた5人の子供を次々と食べてしまうという伝承を主題にした『わが子を食らうサトゥルヌス』(1820~1823年頃/プラド美術館)は1階の食堂の壁に描かれていた。

現在は14枚全てが(西)プラド美術館に移されて展示されている。

そして近年のX線による調査によって、14枚中13枚の絵の下に風景画が隠されていることが判明した。ゴヤ自身が描いた風景画の上に「黒い絵」は上描きされていたから、ふたつの“マハ”を描いた画家の「おしゃべり」なのかもしれないけれど、未だに解読はされていない。

2階の居間の壁に描かれた『砂に埋もれる犬』(1820~1823年/プラド美術館)は、哀しそうな犬の表情で母国の悲哀を表現しているし、『アスモデア(魔女の集会へ)』(1820~1823年/プラド美術館)には、銃を構えるフランス軍や進軍する騎兵隊が配されていて、独立戦争の暗い記憶が色濃く反映されているから、ゴヤが愛した美しいスペインの原風景の上に、寓意に満ちた暗い絵を上描きすることで、歴史に翻弄された母国を表現したんじゃないかと僕は勝手に思っているけれど。

でも、風景画が隠されていなかった1枚『妖術師の夜宴』(1820~1823年/プラド美術館蔵)の「おしゃべり」は解りやすい。グロテスクな表情の魔女たちの中に混じって、ひと際美しい黒い服の貴婦人が描かれていて、これはもう絶対にアルバ侯爵夫人だ。

自身もゴヤに影響を受け、「近代絵画の父」と称される(仏)ポール・セザンヌ(1839~1906)は「彼はアルバ侯爵夫人を自分の手に抱いた時に恋に落ちた。ゴヤの描くあらゆる顔の下に彼女がいる」とまで言っている。ゴヤも自分の恋心には“反骨”ではなかったようだ…

独立戦争でナショナリズムが台頭したスペインでは、自由主義者が弾圧されるようになって“反骨”のゴヤには住みにくい国になってくると、1824年にあっさり敵国のフランスに亡命する。

そして、(仏)ボルドーの地で最期を迎えることになるけれど、ゴヤがスペインに遺したふたつの“マハ”は、宗教裁判の後およそ100年間プラド美術館の地下に隠されていて、ようやく20世紀の初め(1901年)に公開されると、ベラスケス、ピカソと並ぶスペイン絵画の巨匠として再評価されることになる。

さらに、21世紀(2009年)になると、それまでゴヤの代表作とされてきた『巨人』(1808-1812/プラド美術館蔵)が、実は弟子の描いたものだという研究結果が美術館から公式に発表される。しかし、今でもその真贋については論争が続いていて、ゴヤの「おしゃべり」はまだ続いている。

(了)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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