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【コラム】美術の皮膚(121)「ハプスブルク~陽の沈まぬ帝国の夕暮れ~」

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ハプスブルク家にしては珍しく、無敵艦隊を含む武力を以ってスペイン史上に類をみない黄金期を担ったフェリペ2世は、一方でまるで独りでハプスブルク家の伝統を体現するように、政略的に何人ものお妃を迎えた。

ポルトガル王女に始まって、イングランド女王、メディチ家の血を継ぐフランス王女、そしてオーストリア・ハプスブルク家の王女との間に、たくさんの後継ぎを得たけれど、そのほとんどが夭折してしまう。永年に渡る縁戚結婚の結果、それぞれが従妹であったり、姪であったり、いわゆる近親婚によって“血”が濃すぎたのだとも云われている。

有能な後継ぎの不在に加えて、スペインはカトリックの盟主国として中世的な(いわゆる古い)体制を続けていたものだから、あっさりと時代の波に飲み込まれてしまって、後進国であるはずのイングランド、フランス、オランダの後塵を拝することになってしまう。

ネーデルラント(オランダ)の独立、対イングランドの敗戦を期に、まさに斜陽化の一途をたどり、栄華を極めたスペイン・ハプスブルク家は、フェリペ2世が死の床に就くと、坂道を転げ落ちるように、カール5世から数えてわずか5代で断絶することになる。

特に、最期から数えて2番目のフェリペ4世の代になると、英仏連合軍に敗れて(今でも火種が燻っているカタルーニャ地方を含む)ピレネー山脈辺りの領土を割譲しなければいけなくなったりして、“陽の沈まない帝国”に夜が訪れた。

この時の和平条約で、フェリペ4世は娘を宿敵フランスのルイ14世に持参金付きで嫁がせて、ハプスブルグ的な生き残りを賭けるのだけれど、この賠償金にも似た持参金は結局支払うことができずに、いよいよスペインの凋落を示すことになった。

世界史を代表する絶対君主フェリペ2世の孫として生まれたフェリペ4世は、スペイン黄金期の幕を引いたのだから、お世辞に立派な君主だとは言い難いけれど、芸術を愛し庇護したから、実際の“黄金期”から少し遅れてスペインは“絵画黄金期”を迎えることになる。

特に、印象派の父(仏)エドゥワール・マネ(1832~1883)をして「画家の中の画家」と言わしめた(西)ディエゴ・ベラスケス(1599~1660)はスペインだけではなくバロック絵画を代表する画家だし、「王の画家にして画家の王」と呼ばれた(フランドル)ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)は、その代表格だ。

フェリペ2世のコレクションはヨーロッパ随一の呼び声も高く、プラド美術館が略奪による作品を持たない稀有な美術館であることに大きく寄与している。

女官たち

世界三大名画のひとつに数えられ、ベラスケスの代表作でもある『ラス・メニーナス(女官たち)』(1655年頃/プラド美術館所蔵)は、フェリペ4世が寵愛したマルガリータ王女の肖像画でもある。

王女マルガリータ・テレーサ

この他にも、ベラスケスが描いたマルガリータの肖像画は多いけれど、そのほとんどは本家オーストリア・ハプスブルグ家との間で伝統的に行われてきた政略結婚のために、彼女のお見合い写真兼成長記録として本家に送られたから、今では本家のあった(墺)ウィーン美術史美術館に所蔵されている。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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