コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(8)「仮説を越えた暴論かもしれないけれど」

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芸術に限らずポスト・モダンは、イデオロギー(人々の歴史を背景にした体系的な思想)を持たない。物理的には、人々の生活の近代化と共に重要視された合理主義や機能主義を否定するものであるけれど、とはいえ僕には少し相対化が過剰に進んでしまったようにも思える。

肯定的にとらえれば、ピカソが解放したアートが、どこまでも自由になっていくのだけれど、一方で節度をわきまえない自由は時に自分勝手に変わってしまう。

1973年に始まった世界経済の混乱で、アートは明るい未来を信じられなくなったのだけれど、経済自体は緩やかに回復していく。日本では、1985年のプラザ合意を経た「バブル」景気に人々は踊ることになる。

もちろん、時代の鑑であるアートも、そのリズムに合わせて踊ることになるから、アート市場は活況に沸いていたけれど、「今が楽しければ、未来とかどうでも良い」とばかりに、もう何でもかんでもアートだと、産業革命時の質より量の大量生産された工業製品のようなことになっていたような気がしないでもない。

Trangista
1947年12月23日に発明された最初のトランジスタ(複製品)/ image via wikipedia

さらに、1947年にトランジスタの発明、1952年IBM社製コンピュータの発売でデジタル化が進み、1984年にはアップル、1985年にはウィンドウズのパソコンが発売され、1986年にインターネットの規格が統一されると、一気に世の中は情報化社会になり、実体の付属品でしかなかった「情報」そのもの自体に価値を与えて、記号やアイコンとして大量に人々の目に触れるようになる。

アート作品も次第に記号化が進むから、不勉強な僕には「どうにもコンテンポラリー(現代)アートが解らないんですよ...」ということになる。

そして「時代と寄り添うアート」だという最良の答えをいただくことになるのだけれど、アキレス腱が切れるくらいの背伸びをして壮大な美術史をなぞってみると、その全てに意味や価値があったのだと思えてくる。

ポスト・モダン・アートは、好景気に沸く1980年代に盛んだったと云われているから、経済的な余裕を背景にして、イデオロギーを失くして迷子になったアートが、様々な実験的な試みをした時代だった気がする。

そう考えると、2000年頃のインターネット・バブルに始まり、アメリカの住宅バブルや、石油や穀物といった国際商品バブルがひと段落する2010年頃には、何らかの答えが出てくるはずで、仮説を通り越して暴論かもしれないけれど、それが、ポスト・ポスト・モダンアートとしての「時代に寄り添う」コンテンポラリー・アートではないだろうか。

膨大な知識や情報の中から、洗練された知性や教養が生まれるように、2010年頃まで続いたバブル経済のただ中で、壮大な実験の最中に量産されたアートの中から、結果として「時代に寄り添った」ものが残っていると、帰納法的に規定したのがコンテンポラリー・アートで、それは2010年頃からではないかと個人的には納得できたけれど、人間の営みはデジタルではなく曖昧なので、今度はその胎動はいつ頃からあったのか?という疑問を解きたくて、寄り添われた側の時代についてもう少し考えてみる。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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