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【コラム】美術の皮膚(9)「自浄能力がコンテンポラリーアートを生んだ」

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21世紀まで続くバブル経済は、実質的な経済成長を上回る「目に見えない」価値が高騰した。情報革命を経た高度情報化社会は、情報という「無形」のモノに価値が与えられた。

ルネサンス、フランス市民革命、産業革命、世界大戦、大恐慌と人々の暮らしが変わる度に、時代の鑑であるアートも形を変えてきたのだから、消費社会の物質文明から21世紀の情報革命を迎えて、アートが作品という形のあるモノではなく、形のない創作活動そのモノに価値を見出していると考えるのは、決して僕だけではないと思う。

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預言者ダニエルを描いたステンドグラス(アウクスブルク大聖堂、11世紀後半)/ image via wikipedia

実は10世紀末から12世紀にかけて東ヨーロッパを中心に流行っていたロマネスク美術は、プラトン主義を背景にして物質を超えた(目に見えない)精神を重要視していたのだけれど、その反発として12世紀から西ヨーロッパを中心に興ったゴシック美術が、アリストテレスのスコラ哲学を背景にして(目に見える)物質を尊重していたのだから、歴史は繰り返すというか、前進しているつもりでもそのほとんどが、愚かな人類の堂々巡りであるのだなと、他人事みたいに日和ると、僕の話こそが堂々巡りをする。

閑話休題。形のないモノに価値を見出すことが、コンテンポラリー・アートの本質だとするならば、その胎動は(僕が勝手に置いた起点だけれど)2010年から少し遡った1940年代に「作品はただの画家の創作行為の痕跡でしかなくて、創作行為そのものに価値がある」のだとする、ジャクソン・ポロックに代表されるアメリカ発の抽象表現主義にあったはずだ。

しかし、「見えない」モノの価値の判断が鑑賞者側に委ねられると、本当は解らないのに素晴らしいと評価することで自己顕示欲を満足させる権威主義や、またそれを経済価値にのみ求めたりする拝金主義の温床になったりするから、アートの自浄能力が働くのに50年くらいかかったとしても不思議はない...とまで言い切るのは憚られるけれど。

もちろん、これでコンテンポラリー・アートを解読できたなんて思ってはいないけれど、作品の向こう側にある目に見えないモノだからこそ、感性などという不確実な評価基準で鑑賞できないのだということなのだろう。

だから素直に恥を忍んで「解らないって」質問してみると、なぜ解らなかったのかという理由だけは、うっすらとだけれど解ってきたりする。要するに鑑賞する僕の態度の問題だったという訳だ。

キリスト教やギリシア神話を知らずして西洋美術を鑑賞はできないという大学教授の言葉を引用して、独善的だと感じた理由は、絵画には鑑賞するだけではなく、投資したり、勉強したりする楽しみ方があったりする。

たった好き嫌いならば決着は早いけれど、楽しめているとは言い難いし、異国の文化を完全に理解して鑑賞するのも難しい。だから学ぶしかないのだけれど、なんか勉強だとか言ってしまうとセンスがないみたいで格好が悪いと思ったりするのは、欧米化する社会の仕組みの中で、西洋文化への憧れが強すぎるのかもしれない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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