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【コラム】美術の皮膚(74)「印象派物語~日本人の好きな群像劇~」

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1863年に、フランス政府公認の芸術アカデミーが開催した官展には、予想以上の応募があったから、落選した作品も予想以上の3000点にも及んで、画家たちからのクレームも予想以上に寄せられた。そこに敏感に反応したのが、市民政治を標榜していたナポレオン3世で、落選作品を集めて大規模な“落選展”の開催を指示した。

そこに、衝撃作エドゥワール・マネ草上の昼食』(1863年/オルセー美術館)が飾られた。何が“衝撃”かといえば、古典絵画へのオマージュがほんのり含まれているものの、明らかに生身の女性の裸体を描いたから、当時の不文律だった「神話や聖書に登場する“女神”以外の裸体を描かない」ことに違反してたから、保守的な美術評論家たちに「不道徳」だと酷評されたのだ。

草上の昼食
エドゥワール・マネ / 「草上の昼食

これが“うっかり”じゃなくて、マネの確信だというのは(1)当時発達した鉄道によって市民のレジャーとして流行したパリ近郊へのピクニックが題材、(2)女神ならば最初から着ていないはずの衣服が、他の荷物と一緒に脱ぎ捨てられている、ことから明らかだった。その衝撃度から、ピカソ『アヴィニヨンの娘たち』より早く、現代アートの出発点的な作品だという専門家もいるくらいだ。

アルジェの女たち
ウジェーヌ・ドラクロワ / 「アルジェの女たち

既存ルールを壊すという挑戦は、『草上の昼食』の30年前から始まっていて、ロマン主義のドラクロワアルジェの女たち』(1834年/ルーブル美術館所蔵)は、神話、聖書以外を題材にしているし、写実主義のクールベオルナンの埋葬』(1849年/オルセー美術館所蔵)は、神ではなく市民を主役にした大画面を描いたし、バルビゾン派のミレーたちは理想化されたイメージをアトリエで描くのではなくて戸外での創作に挑んだ。

オルナンの埋葬
ギュスターヴ・クールベ/ 「オルナンの埋葬

そしてマネに至った果敢な挑戦に刺激を受けた、後に“印象派”と呼ばれる若い画家たちが立ち上がったから、同時代に生きていながら、一度も“印象派展”に出品をしていないマネなのに“印象派の父”と呼ばれてる。

フランス革命によって開かれた市民社会の中にあって、当時のフランス美術界は保守的で、作品の題材も、歴史画・宗教画が最上という格付けや、官展で入選しないと画家として認めないという旧態依然とした方針だったから、自由闊達な世の中の風に触れて、自分の思うままに絵を描きたい若者たちは、自分たちでお金を出し合って“グループ展”を開くから、理不尽な体制からの圧力を受けて闘う姿に、理屈抜きで同情を寄せる日本人は少なくないのだと思う。

1874年に開催された“グループ展”には、30人の画家が集った。後に「印象派展」と呼ばれることになるこの展覧会に出品されたのが、印象派の原点になったモネ『印象・日の出』(1873年/マルモッタン・モネ美術館所蔵)だ。

芸術アカデミーの決めた絵画の題材として格下の風景や風俗を描く作品群を観た美術批評家たちは、皮肉を込めて「ただの“印象”だ」と切り捨てた。そして、それを逆手に取って自らを“印象派”と名乗った若者たちの逆襲が始まるのだけれど、ここにも日本人の印象派好きの理由がある気がする。

欧米のヒーローの多くが、独りで孤独に耐えながら戦うのに対して、日本のヒーローは複数だったり、日本のアイドルが男女を問わず複数だったり、戦国武将が群雄割拠する日本の戦国時代や、「三国志」が人気だったりすることを考えると、日本人は押し並べて“群像好き”だから、“印象派”という物語の青春群像にも魅かれるんじゃないかと思う。集団生活が前提の農耕民族のDNAレベルの話かどうかは定かではないけれど。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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