コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(15)「革命の画家たち②」

今までの連載はコチラから

19世紀以前に、最も後世の画家たちに影響を与えた画家は誰なのか?」には、1位のレオナルド・ダ・ヴィンチ、2位のラファエルロ・サンティからは少し下位だけれど、やはりルネサンス三大巨匠の残りの一人、ミケランジェロも名を連ねている。数々の名画を遺し、その功績は偉大であるものの、あくまでも彫刻が本業だということが、2人に比べて順位を下げている原因ではないかと僕は思っている。

盛期ルネサンス(フィレンツェ派)

(伊)ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)

彫刻家でありながら、絵画、建築にも才能を発揮したもう一人の万能の天才と言える。

Stpieta
サン・ピエトロのピエタ / image via wikipedia

ヴァチカン市国にあるカトリック教の総本山サン・ピエトロ大聖堂にある「サン・ピエトロのピエタ」像(1498~1500)だけでなく、ヴァチカンの歴代教皇からシスティーナ礼拝堂の天井画「アダムの創造」(1508~1512)や祭壇画「最後の審判」(1535~1541)を依頼されるなど当時からその才能は高く評価されていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチとの確執も有名で、レオナルドが「絵画こそ最高の芸術」と主張すると、異を唱えて「彫刻こそ最高の芸術だっ。絵画に背中が描けるか?」と反論したものの、「では、彫刻に空気が描けるのか?」と逆に論破されたという話もあるけれど、自身も画家でありながらイタリアの美術史「芸術家列伝」を書いた(伊)ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574)は、ミケランジェロをルネサンス芸術の頂点と評価している。

2017年6月には、三菱1号館美術館(東京丸の内)で、二人の素描画を集めて開催された「レオナルド×ミケランジェロ展」では、ライバルの競演が観られたが、ルネサンス期にも(伊)フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿で、レオナルドの描く「アンギアーリの戦い」の隣の壁に、ミケランジェロが「カッシーナの戦い」を描くという競演が実現されそうになったのだけれど、結局は諸事情で完成せずに幻となってしまった。

盛期ルネサンス(ベネツィア派)

(伊)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488頃~1576)

ベネツィア派最大の巨匠として、色彩の錬金術師と異名を取り、ベネツィアだけでなくヨーロッパ中にその名を響かせ、神聖ローマ帝国の歴代皇帝がパトロンにいた。

当時にしては珍しい享年88歳の長寿で、活躍した期間が長いことも、多くの画家たちに影響を与えた一因になっているのかもしれない。中世のヨーロッパの平均寿命は30歳代とも云われているから、ティツィアーノは超人的な長生きだったということになる。

バロック期

(伊)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(1573~1610)

カラヴァッジオは極端なまでの明暗を使って「光」を「闇」で劇的に表現することによって、後世の「光」を追いかける画家たちに影響を与えた。というのも、特に見たままを表現しようとする写実的な画家たちには、3次元の世界を2次元のキャンパスに(遠近法等を駆使して)描くだけでなく、「光の三原色」を「絵具の三原色」で表現するという課題が立ちはだかっている。

光の三原色は混ざると白くなるのだけれど、絵具は黒くなってしまうため、例えば明るい絵を描いた印象派の画家たちが、パレットで絵具を混ぜず、キャンパスの上に隣り合わせて置いたように、「光」を描くことは創作の大きな要素なのだと思う。

「19世紀以前に、最も後世の画家たちに影響を与えた画家は誰なのか?」を改めて並べてみると、みなアイデアを駆使して、色であったり、形であったり、画材であったり、独自の画風を発明している偉大な画家たちだ。

大げさにいえば美術史に革命を起こしていて、だからこそ後世に影響を与えていたのだと、当たり前のことに気付かされる。もちろん数字の上だけで見ているだけの僕が、リストに載せられていないその他の偉大な画家たちには申し訳ないけれど、この「気付き」が欲しくて、また気になることが出てきた。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
    スポンサードリンク

これまでの「美術の皮膚」