コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(117)「ハプスブルグ~北方絵画~」

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雪中の狩人(冬)

アルプスの反対側で花開いた北方ルネサンスには、イタリアを中心とするルネサンスと比べて、特にイタリア発の古典美術の格付けが、宗教画・歴史画、肖像画、風俗画、風景画、静物画であるのに対して、(フランドル/蘭)ピーテル・ブリューゲル(父)(1525頃~1569)『雪中の狩人(冬)』(1565年/ウィーン美術史美術館)や、(独)ルーカス・クラーナハ(父)(1472~1553)『選帝侯フリードリヒ賢公の鹿狩り』(1529年/ウィーン美術史美術館)といった自然を描いた風景画や、人物と同じくらい静物の描写にこだわった(フランドル)ヤン・ファン・エイク宰相ロランの聖母』(1435年頃/ルーブル美術館)や、(フランドル/白)ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン(1400頃~1464)『十字架降下』(1430年頃/プラド美術館)のような細密画の名作が多く遺っている。

選帝侯フリードリヒ賢公の鹿狩り

自然をありのまま細密に描こうとする画家たちは、19世紀中頃のイギリスで、ルネサンス盛期に活躍した巨匠ラファエロを手本にした理想化された作品を模範とする美術界に、反旗を翻す形で立ち上げられた『ラファエル前派兄弟団』のお手本でもあったりする。

快楽の園

それに加えて、ローマからも遠く離れているせいなのか、聖書を題材にした作品についても、独自の解釈を加えて描かれているから、(フランドル/蘭)ヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)『快楽の園』(1510年頃/プラド美術館)や、ピーテル・ブリューゲル(父)バベルの塔』(1563年/ウィーン美術館)といった独特な物語を多分に含んだ作品も多い。

バベルの塔

中でも(独)アルブレヒト・デューラー(1471~1528)の描いた『28歳の自画像』(1500年/アルテ・ピナコテーク)は、そもそもこの時代に画家が自画像を描くことさえ珍しいのに、自らをイエス・キリストに似せて描いているから、いくら本人が「芸術家の創造力は神から与えられたものだ」がテーマだと主張したとしても、教会関係者からの「不遜、生意気」の誹りは免れなかった。

二十八歳の自画像

実際に、西洋美術において画家自身がイエス・キリストに模した自画像を描いたなどという話は、後にも先にも『28歳の自画像』(1500年/アルテ・ピナコテーク)しか観たことがない。もちろん、僕が不勉強なだけなのかもしれないけれど。

世が世なら死刑なんじゃないかと心配になるけれど、ただ、1500年といえば中世の終わりで、勢力の弱った教会の息もアルプスの向こう側にはそれほどかかっていなかったと思われるから批判程度で済んで、宗教裁判とかの物騒な話にはならなかったようだ。

ちなみにこの絵には、“ラファエル前派兄弟団”に先駆けて、美術史上で最初に古典美術に反発したウィーンの“聖ルカ兄弟団”が心酔したと云われている。個人的には、“ラファエル前派兄弟団”は“聖ルカ兄弟団”の上辺だけを真似たものだと思っているけれど、その知名度は劣化版に比べて低いかもしれない。

“劣化”なんていうと叱られるかもしれないけれど、カルピスも原液で飲むより薄めた方が美味しいから、少し劣化した方が受け入れられやすいのも本当だと思う。

(独)ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベック(1789~1869)を中心に画学生6人によって立ち上げられた“聖ルカ兄弟団”は、“ラファエル前派兄弟団”よりも思想は明確で、保守的な美術アカデミーのキリスト教解釈は貴族のご都合主義で堕落したものだと訴えた。

しかも、ルネサンス後期を真似たフランス革命あたりから画壇は腐敗していて、それ以前の中世的な、いわゆるキリスト教的な世界観に戻るべきだと具体的に糾弾した。もちろんそんなことを言えばすぐに学校を追い出されたに決まっている。

そして彼らは、退学後にローマに渡って中世的なフレスコ画の名作をいくつか遺しているけれど、明らかに時代遅れの感は否めない。

しかも一方で、美術アカデミーの抑圧に対しても文句を言っているから、むしろ民衆を束縛していたと思われる厳格な中世、もしくはルネサンス初期の精神性へと回帰すべきだというのは、ちょっと辻褄が合わないから、彼らは芸術の守護聖人ルカの名前を掲げる中世の画家組合の名前を借りて、自称“聖ルカ兄弟団”と名乗ったけれど、ルネサンス初期の衣服や装飾を必要以上に真似るだけのキリスト・オタクな“ナザレ派”という蔑称での方が通りが良いかもしれない。

こちらの“兄弟団”も、オーヴァーベック以外のメンバーが、次々にローマから帰国しちゃって、それどころかアカデミーの要職に就いたりするものだから、なんだか空中分解してしまって美術史的な活動期間は明確ではない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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