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【コラム】美術の皮膚(116)「ハプスブルグ~スイス人最強説~」

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バチカンが世界最古の国軍と言われている衛兵に、スイス人を採用し続ける理由は、14世紀にまで遡る。元々、ザンクト・ゴットハルト峠が南北ヨーロッパを結ぶ交通の要衝だった今のスイスあたりは、11世紀までには支配下になっていた神聖ローマ帝国から自治権を買い取るほど栄えていた。

そこへ当時のヨーロッパ全域に勢力を拡大していた、名門ハプスブルグ家の大軍が侵攻(1386年ゼンパッハの戦い)してきたところを、小国のスイス農民軍が打ち破って、完全にハプスブルグ家の影響を排除したものだから、その屈強さはヨーロッパ中に響き渡るに決まっている。

しかも、山岳だらけで農作物にも恵まれない小国は、例え占領したとしても大した戦果は得られないから、余計に誰も攻めてこなくなるうちに、スイス人最強という都市伝説が生まれたんじゃないかと思う。実際に、西ローマ帝国を滅ぼした、屈強なゴート人の血を引くゲルマン系の国だから、ただの噂でもなさそうだけれど。

とはいえ、山岳地帯を大軍が攻めたという話になると、宮本武蔵が吉岡一門の手練れ数十人を京都一乗寺下がり松で撃ち破った時も、あぜ道に誘い込んでせっかくの多勢が1人ずつしか切りかかって来られないようにして戦って勝ったという話を思い出すから、ハプスブルグの大軍も峠の細い道を縦長にしか進軍できなかったのかなと勝手に想像すると面白い。

スイスの山々だけでなくても、例えばノルウェーの森、ベトナムのジャングル、日本なら海、中東なら砂漠みたいに、小国が大国を手古摺らせる時には、度々自然が味方をしている。

スイスも狭い領土に満足していた訳ではなくて、16世紀になると領土拡大を求めて打って出るのだけれど、今度はフランス軍に敗れて、現在に至るまで諦めているようだ。とはいえ、大国に囲まれた貧しい土地であることには変わらないから、攻められない為にも「攻撃は最大の防御なり」だったり、まるで「スイス人最強のプロパガンダ」をするように、他国同士の戦争に国を挙げて傭兵を派遣する。

しかも州政府単位で実施されていたようだから、少し離れた土地に住む親子や兄弟が、敵国軍として戦うなんていうことも、あり得ない話ではないから、色々な意味で「スイス人最強」なんだろう。気合いが違う。

スイス・サッカー史上最強と云われたチームで臨んだ2014年のワールド・カップ・ブラジル大会予選Eグループの対エクアドル戦で、反則覚悟のスライディングを食らって転んでも立ち上がってゴールを目指す自国の選手に、ひと際の大歓声が上がったのは、あながち勇猛果敢を矜持とする国民性と関係ない訳はない気がする。

「血の輸出」とも呼ばれたスイス最大の輸出品“傭兵”は、ようやく19世紀末(1874年)に法律で禁止されるまで続いたけれど、例外として前述のバチカンへの派兵だけは今でも許されているようだ。

サッカーばかりに例えて恐縮だけれども、決勝ラウンドでも天才メッシを擁するアルゼンチンの夥しいシュートの嵐を90分間防ぎ切って見せた。結果は延長で負けてベスト8に進めなかったのだけれど、堅守の国の面目躍如を果たしたことになった。

ヨーロッパ史を通じて大国だったドイツやフランスといった国に囲まれた小国スイスは、その狭間で揺れながら、世界大戦下でも中立を貫くから、難民の避難地であったり、時には諜報活動や外交の舞台として確固たる地位を築いている。

そればかりか、世界戦争で大勢の人々が虐殺されていく現実に、ルネサンスから続く教会支配から解放された人間性の復興に疑問を抱いた「ダダイズム」の画家たちの活動拠点にもなった。

Dadaizm
キュビスム風の格好をしたフーゴ・バル / キャバレー・ヴォルテール (wikipedia)

もっとも、アルプスの北側では、紀元前から独自の文化、文明があった。特に(伊)フィレンツェを発祥とするルネサンスに対して、北方ルネサンスと呼ばれる一群の画家たちは、少なからずの“人間賛歌”の影響を受けながらも、独自の“自然賛歌”を描いた名作を遺している。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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