コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(120)「ハプスブルグ~本家と分家~」

今までの連載はコチラから

姻戚関係を結ぶことによってハプスブルグ家の勢力は、オーストリアを中心に拡大していくのだけれど、なかでも16世紀には「陽の沈まぬ帝国」と呼ばれる巨大帝国を構築することになるスペイン王国との関係は、ハプスブルグ家にしては珍しくスリリングだ。

15世紀末になると、ハプスブルグ家のマクシミリアン1世はさらなる勢力拡大を画策して、男前の孫フィリップ公(後のフェリペ1世)と、東西スペイン統一の象徴とされるファナ王女との政略結婚を持ちかける。とはいえ、それで簡単にスペイン帝国が手に入る訳でもなく、そこには巧妙な策略が張り巡らされていた。

実はフィリップ公の妹マルガリータと、王女ファラの兄ファン王子との婚姻も同時に進められていて、兄妹同士の多重結婚だった上に、この二組の夫婦のどちらかに何か不測の事態が起きた時には、残った夫婦がお互いの国の領土を相続するという大博打を打ったのだった。

ちょっとドラマチックにしたいから大げさに大博打なんて言ってしまったものの、ひょっとしたらただ単にスペイン帝国と、オーストリア帝国ハプスブルグ家との純粋な連携だったのかもしれないけれど、結果は見事にハプスブルグに有利な方に転がった。

スペイン王子ファンが結婚してすぐに19歳の若さで夭折してしまうから、これはもうハプスブルグ家が毒殺でもしたんではないかと勘繰りたくなるけれど、歴史上は病死ということになっているからあまりいい加減なことも言えない。

結局、ハプスブルグに嫁いだファナにスペイン帝国の王位継承権が巡ってくるから、最初の約束通りハプスブルグ家にスペインの領土が簡単に転がり込んだりしたかというと、どうも真面目なファナは、自分が王であることを主張して、夫のフィリップに王位を渡さなかったようだから、実際にスペイン・ハプスブルグ家の最初の当主は、その息子カルロス(後のカール5世)まで待つことになる。

とはいえちょうどカール5世の治世は、時まさに大航海時代が訪れていて、神聖ローマ帝国兼スペイン国王として西ヨーロッパの統一だけではなく、スペイン領だったアジアやアメリカ大陸にまで至る大帝国として世界を牛耳った。ちょうどヨーロッパとフィリピン辺りの時差は7時間だから、フィリピンの夕方はオーストリアの真昼間で、文字通り「陽の沈まぬ帝国」だ。

ただ、戦争で領土を拡大しなかった功罪として、飛び地になっているオーストリアとスペインの間に挟まれたフランス王国や、地中海の利権を争っていたオスマン帝国との間で争いは絶えなかったから皮肉なものだ。

広大な領土のせいで「戦争は他に任せておけ」とはいかなくなったカール5世は、晩年に心身ともに疲れ果てて、オーストリアを弟フェルディナント1世に、スペインを息子に譲って退位してしまう。これにて、ハプスブルグ家は本家オーストリアと、分家のスペインに分かれることになる。

スペインを譲り受けたのは、フィリピンの名前の由来にもなっているフェリペ2世だ。ポルトガル王女を母に持っているから、ポルトガルの領土も受け継いで、父の時代に加えて中南米に広く領土を広げ、もう「陽が沈まない」どころか太陽まで領土の勢いだ。

黒衣のフェリペ四世
黒衣のフェリペ四世」ベラスケス

しかも、父親が手を焼いていたオスマン帝国を撃破して、歴史上類を観ないスペイン帝国の黄金期を迎える。本家スペインがルターの宗教改革によって勢力を伸ばしていたプロテスタント(反カトリック)の懐柔策に出るのを嫌って、カトリックの盟主国としてベラスケスルーベンスといった荘厳なバロック芸術の庇護者にもなった。

(つづく)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
    スポンサードリンク

これまでの「美術の皮膚」