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【コラム】美術の皮膚(94)「世紀末芸術~時代の徒花“ラファエル前派”~」

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リチャード・ダッドのご乱心で、せっかく美術後進国のイギリスから、新しい美術の波が起こるというチャンスが閉ざされたように見えたけれど、“ザ・クリーク”とほぼ時を同じくして英国王立アカデミーの3人の学生たちによって「ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)」が結成された。当時イギリスに留学していた夏目漱石らがこぞって絶賛したから、日本では人気の芸術運動だ。

当時の王立美術アカデミーが、ルネサンス期の美術、特に三大巨匠のひとり(伊)ラファエロ・サンティ(1483~1520)を規範にしていたから、アカデミーに反発するあまり、ラファエロを否定して、それ以前の初期ルネサンスのような理想化されない「ありのままの自然を描く」というのだ。唐突に名指しをされたラファエロには迷惑な話だろうけれど、逆にいえばルネサンスを意味する画家として重んじられていたということでもある。

日本の“武士道”が“主君”という人格に仕えることを善しとするのに対して、“騎士道”は“契約”の内容に誠実であることを是とするから、時にはその内容にさえ異を唱えることがある。お世話になった人でさえ、間違っていたら糾弾することも厭わない潔さはあるけれど、何をもって“間違い”なのかはきっとかなりの主観だと思う。

お叱り覚悟で言えば、僕は「ラファエル前派兄弟団」をただの“学生サークル”の空騒ぎだと思えて仕方がない。自分の学生時代を思い出して、楽しそうだし微笑ましいけれど、“象徴主義”の先駆だとか、20世紀美術への影響を語る後世の評価も少し過大なんじゃないかとさえ疑心暗鬼だ。

もちろん、どんなムーブメントも最初は小さな波だから“学生サークル”が良くないというんじゃなくて、たった5年の活動期間で“学生サークル”のままで終わっているから、それほどのものじゃない気がするし、少なくとも僕の拙い想像力では、彼らの作品から物語を読み取れない。あのラファエロに反発したのだから何かもっと面白いことを期待するけれど、出てくるのは男女関係のもつれくらいで正直がっかりだ。

彼らは、自分の作品に「ラファエル前派兄弟団」の頭文字を取って「P.R.B.」の署名を加えたけれど、当時の美術アカデミー会長の作品には「P.R.A.」と付記されることを捩ったんじゃないかと云われている。きっと自分たちのチーム名を考え付いた時に「イケてない?」って盛り上がったはずだ。否定したのがレオナルド・ダ・ヴィンチでも、ミケランジェロでもなく夭折の天才画家ラファエロだということにも若者たちの外連味を感じる。「P.L.B」でも「P.M.B」でも“イケて”なかったんだろう。

ラファエロを否定してみせた手前、遠近法さえ守らずに絵を描いて変な感じになってるけれど、それが意図的なのか下手くそなのか判らない上に、それ以外には「何を描きたいのか?」具体的な情熱は感じない。それが「キレイなら良いじゃん」という“耽美主義”だと言われればその通りなんだけれど、それなら僕も「別にキレイに見えないけどな」って個人的な感想を言うしかない。

3人の画学生の中で、最も画力の高かった(英)ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)がリーダー格だったようだけれど、実際は「近代画家論」(ジョン・ラスキン)という本を画家仲間に紹介して、ただの反抗に一応の理論付をしたのが(英)ウィリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)だった。

きっとハントの提案に「それな!」って盛り上がっただろうけれど、彼らが結成当時に申し訳程度に謳った「美術は自然をありのままに描くべきだ」は、この本からの借りものだ。実際に、その後の作品は、あまりその“契約”は守られていない。

ただ、巨大な権力に立ち向かった若者たちは、大衆に受け入れられてアイドル的な人気を博し、最も画力のあるミレイは、ヴィクトリア女王に認められると、あっさり保守的な美術アカデミーに摺り寄って1853年に準会員になったりするから、5年でこの“学生サークル”は解散して“兄弟”は散り散りになる。

自分のことしか考えないリーダーを仰いだ集団の寿命は短い。しかも、ミレイは男女関係において非紳士的なスキャンダルを起こしながらも結局はアカデミーの会長に就くから、もしかしたら「ラファエロ前派兄弟団」の若気の至りは、隠したい過去なのかもしれない。

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ジョン・エヴァレット・ミレー 「オフィーリア」/ image via wikipadia
3人のうちのもう一人(英)ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~1882)は、男前だけどあまり画力もなかったから、細密な風景画に早々に飽きて、浮名を流した女性たちの絵ばかり描いた。
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ジダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ベアタ・ベアトリクス 1863頃」/ image via wikipadia

「ありのままの自然」を「ありのままの愛欲」に変換するのは無理があるけれど、デザインのセンスに長けた(英)サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833~1898)や、後に「モリス商会」を立ち上げる富裕層に生まれた職人気質の(英)ウィリアム・モリス(1834~1896)たち後輩と組んで、商業的に成功する。しかし、もはや美術でもない。

ジダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「プロセルピナ(Proserpine)」/ image via wikipadia

自分で仲間に紹介したからではないだろうけれど、最後まで「近代画家論」の教えに忠実に「ありのままの自然」を表現しようとしたハントは、ミレイとロセッティが早々に面倒くさがって止めた細密な風景画を描いたから、作品数も少なくて、2人に比べて知名度が今ひとつなのは皮肉なことだけれど、でも「ラファエル前派兄弟団」はその程度のものだと思う。お叱り覚悟で前もって申し上げたように、僕は「ラファエル前派兄弟団」をこの程度にしか知らないし、自分の学生時代になぞってかなり偏った想像をしてるのかもしれない。

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ウィリアム・ホルマン・ハント 「雇われ羊飼い」/ image via wikipadia

ただ、「ラファエル前派兄弟団」を時代を変えた本流だと捉えることには、まだ少し違和感がある。“イケてるサークル活動”に後からそれらしい理屈を付けるよりも、その身勝手で刹那的で表面的なスタイルこそが、耽美的な“象徴主義”に繋がったと思うから、“徒花”としての儚さこそが真骨頂である気がする。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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