コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(89)「印象派物語~素敵な三段論法~」

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お叱り覚悟で、印象派の救世主として名指した(仏)テオドール・デュレ(1838~1927)は、実家がお酒を扱う問屋のいわゆるブルジョア出身で、同じく印象派を擁護した作家のエミール・ゾラと一緒に、共和系新聞社を立ち上げたこともある自由主義のジャーナリストだ。そして、影響力のある美術評論家でもあった。

日本への旅を経て、すっかり日本贔屓になってパリに戻ってくると、19世紀パリのジャポニズムの火付け役となるだけでなく、当時は「彼らはみな目の病気じゃないか?」とまで酷評を受けていた印象派を擁護するために「印象派の画家たち」(1878年)という小冊子を発表した。間違いなくこれは、第3回印象派展(1877年)を終えた若き画家たちが、市民権を得ることに大きく寄与したはずだ。

その中で、彼が印象派として紹介したのが、モネシスレーピサロルノワールモリゾの5人だ。そして「印象派ではないけれど、一緒に活動している才能ある画家たち」として、ドガカイユボットセザンヌ、ギヨマンを挙げている。第4回(1879年)から参加したとはいえ、1876年には官展(サロン)で入選を果たしているゴーギャンは、やっぱり入っていないけれど。

そして、デュレが印象派を賛美する時に、盛んに引用したのが日本の浮世絵だ。

「偉そうにしている保守的な美術批評家たちは、全く知らないだろうけど、日本には素晴らしい芸術が花開いていて、印象派にはそれとの共通点がある」

という物言いは、印象派を褒めているのか、日本を褒めているのか判らないくらいだけれど、むしろ徒に印象派を褒めるのではなく、三段論法(日本は素晴らしい+印象派は日本的=印象派は素晴らしい)で印象派を擁護する論客らしい見事な広告戦略だと思う。

本当に、印象派が最初から日本的であったかどうか?むしろ印象派の方がデュレの戦略に乗っかって日本的になっていったのか?を聞き取ることはできないし、聞けたとしても本当のことを言うかどうかは怪しいので棚に上げたとしても、成功に貪欲な若き画家たちが、19世紀のパリを席巻していたジャポネズリー(日本贔屓)に無関心だったわけはなく、無意識のうちに売れるための戦術としてジャポニスム(日本主義)を宣言したとしても不思議はない。

デュレの方も、日本贔屓は本当だとしても、印象派を喧伝する目的で“日本”を利用したのは、少しだけ辻褄の合わない文脈から見て取れるけれど、この際細かいことはもう一回棚に上げて、19世紀のパリをジャポニスムが席巻していたことは、以前にもご紹介したように、1999年発行の(米)LIFE誌で「この1000年で最も重要な功績を果たした世界の100人」に19世紀の画家として葛飾北斎が選ばれていることを考えれば間違いない。

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葛飾北斎「自画像」 / image via wikipedia

日本人は何故「印象派」が好きなのか?の答えは、そこにある気がしてならない。もちろん、単純にジャポニスムを宣言した画家たちの作品の中に、日本的な美を感じるからこそ親近感が湧いてくるのだとは思うけれど、もう少し穿って考えると、やはり日本人が本来持っている、思ったことを簡単に口にすることを慎む“恥”の文化が関係しているのだと思う。

唐突だけれど、“サービス”と“おもてなし”の違いは、「お客の要望に応える」ことと「お客さまに要望なんて恥知らずなことを言わせない」ことにあると思う。“優しさ”と“思いやり”の違いは、「振る舞い」と「思う」ことにあると思う。

明らかに、後者の方が伝わりにくいし、なんなら曖昧ではあるけれど、そこには従属や上下関係はなくて、自分の為ではなくて、他者を自分のこととして考えるという流儀がある気がする。それは、英訳した時の“Fashion”とは程遠い文化に似た習慣だ。もちろん、僕のたった言葉のイメージだけれど。

だから、集団としての日本人は「日本が最高!」なんて軽々しく言わない。見方によって一番高いモノは人それぞれだと知っているから。でも、フランス側から「日本が最高!」なんてラブ・コールされるのは、決して悪い気分じゃないし、むしろ自分たちで「日本が最高!」なんて言えないから、「印象派が最高!」って言って見せて、三段論法(印象派は日本的+印象派は最高=日本は最高)で間接的に言ってるんじゃないかって思ったりもする。

きっと、デュレなら解ってくれると思う。

(了)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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