“縄文の美”ときいて、皆さんはどのようなものを思い浮かべるでしょうか。『火焔型土器』、『遮光器土偶』などのインパクトのある力強い造形は、歴史の教科書などで見たことがあるという方も多いと思います。
縄文時代は今から約1万5000年前~約2300年前までの、およそ一万年ものあいだ続き、北海道から沖縄まで日本全土で展開していました。もちろん文字は残っていません。実際どのような暮らしぶりだったのか。何を考え、何を食べ、何を見ていたのか。それは彼らが残したものから推し量るしかないのですが、その遺物からはなんと豊かに縄文人の息吹が伝わってくることでしょう。
たとえば、『木製編籠 縄文ポシェット』。木の皮で編んだポーチには、くるみが一粒残されていました。貴重な食糧であるくるみを、大事に拾ってはポシェットに入れて持ち帰ったのでしょう。基本的には生活のための道具ですが、今ならまさしく、軽くて丈夫なファッション・アイテムです。
「装飾のためというより、魔除けとしての意味合いが強かった」と説明されることが多い縄文時代の装身具ですが、女性が耳朶に穴をあけて耳を飾ったという『土製耳飾』の、まるで19世紀フランスのアール・ヌーヴォーのデザインのような線の優美さと、赤みを帯びた土の色も相まって薔薇のように見える華やかさが、女性たちに身に付ける歓びを与えてくれたのではと想像したくなります。これも、今ならおしゃれなピアスといったところでしょう。
燃え盛る炎への畏れと憧れと驚きを写し取ったかのような『火焔型土器』、どこから見ても均質な丸型の『壺形土器』の端正さ、赤や黒の漆塗りをほどこした水差しの鮮やかさも、煮炊きや貯水、そして祭礼のために土器は用いられたと考えられていますが、縄文人たちがそうしたものに単なる道具としての役割だけではなく、より美しい形を、より美しい色を、より美しい文様を求める気持ちを持っていたと想像することは難しくありません。“美しさを求める”ということは、人間にとって根源的な欲求なのだと改めて知ることができます。
『子抱き土偶』に通う、親子の情愛。『手形・足形付土製品』には、つい今しがたつけられたかのような可愛らしい手と足の形が生々しく残っています。子どもの死亡率が高かった時代にあって、子どもの健やかさを祈って作られたものなのでしょう。時空を超えて、人々が生きた証や籠めた祈りと思いが、現代を生きる私たちの心にまで響いてくる展覧会でした。
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(縄文展)
東京国立博物館
2018/7/3~9/2