教皇ユリウス二世に招かれ、その墓碑の制作を依頼されたミケランジェロは、制作予定の変更に翻弄されて教皇と確執し、フィレンツェへ戻るが、再びローマに招喚されてシスティーナ礼拝堂の天井画の制作に着手。
1508年中に構想を固め、足場作りや下塗りをして翌1509年から実際の仕事にとりかかった。完成の除幕式が行われたのは1512年10月31日。約3千人に及ぶ人物を1千平方メートルの壁面に4年を費やして描き上げたのである。
この超人的な仕事で、「胸がハルピュイア(ギリシャ神話の怪物)のように飛び出して首が曲らなくなり、手紙を読むにも上にかざさなければ読めなくなった」とミケランジェロは語った。
人々はこの天井画にまさしく“神”の手を見たのであった。ここに描かれた『創世記』はミケランジェロの構想で修正され、創世6日間の経過に、原罪とその罰としての大洪水が加えられたほか、コンパスで地球の寸法を計測する神の姿も表された。
解説:高草 茂(美術史家)