世界の美術館

ヴァティカン美術館

イタリア ヴァティカン市国

ヴァティカン美術館 – 収蔵絵画の画家一覧

ヴァティカン美術館は、ローマ教皇庁ヴァティカン宮殿内の記念物、美術館、絵画館などの総合的名称で、16世紀初め、枢機卿ジュリアーノ・デルラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere、のちの教皇ユリウス二世[在位1503-13])の個人コレクションを基に創設され、以後歴代の教皇による寄贈品と、人類が生み出してきた芸術文化の保存を目的として蒐集された美術品および諸施設を含む大規模な美術館である。

1503年、教皇位に就いたユリウス二世が、枢機卿時代の居所であったサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂(ミケランジェロ咲くの「ユリウス二世墓廟」がある)の庭を飾っていたアポロ像をベルヴェデーレ宮に移したのに始まり、エスクィリーノ丘上で発見されたラオコーン群像の収蔵から古代彫刻収集が結実していく。

しかし、この場所は詩神の聖所パルナッソスの庭と同じく”世俗のものよ、近づくなかれ”と銘文が記され、特別な資格をもった文学者、哲学者、芸術家のみが入所を許されたのである、当時、ここへ足繁く通ったのはラファエルロ、レオナルド、ミケランジェロほかヴァティカン宮の装飾に携わった芸術家たちであった。のちにこの古代彫刻の収集には教皇クレメンス七世在位中にクニドスのヴィーナス(模刻)やヘラクレスのトルソ(「ベルヴェデーレのトルソ」)等が加えられた。しかし反宗教改革の主導者ピウス五世(在位1566-72)は古代彫刻を異教の「偶像」と見做し、公開禁止にした。

のちになってクレメンス十一世(在位1700-21)時代に宗教美術館の創設が計画され、ウルバヌス八世在位の1756年に図書館を核とした宗教美術館(Museo Sacro)が設置されるに至り、キリスト教の歴史をその起源から資料的に跡づけることになった。これに伴い、キリスト教に関わりのない古代彫刻などを収蔵する世俗美術館(Museo Profano)が設けられ、ヴァティカンはこれよりのち「宗教」「世俗」の両美術館を擁することになるが、古代美術品がローマから流出することを憂えたクレメンス十四世(在位1769-74)は、新たな美術館を設置して古代美術品の収集に務めた(現在のピオ・クレメンティーノ美術館Museo Pio-Clementino)。

しかし1797年、ナポレオンのローマ侵攻によって多くの美術品がフランスに持ち去られ、ナポレオン失脚後のウィーン会議で返還されることになったのを機に、新たに絵画館(Pinacoteca)を設置し、パリから取り戻されたローマの諸教会、諸修道院の作品をここに収蔵した。これに平行して古代絵画コレクションが公開され(異教美術館)、壁画「アルドブランディーに家の婚礼」も日の目を見るに至ったのである。十九世紀から二十世紀にかけてヴァティカン美術館群は飛躍的に発展・拡大し、エジプト美術館、グレゴリアーノ・エトルスコ美術館、聖遺物館、歴史美術館、現代宗教美術コレクションが設置され、施設としてシスティーナ礼拝堂、ラファエルロのスタンツァ、ニコラウス五世礼拝堂、ボルジアの間などを擁するに至っている。(高草 茂)

ヴァティカン美術館

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ヴァティカン美術館 - 収蔵絵画の画家一覧

ヴァティカン美術館は、ローマ教皇庁ヴァティカン宮殿内の記念物、美術館、絵画館などの総合的名称で、16世紀初め、枢機卿ジュリアーノ・デルラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere、のちの教皇ユリウス二世[在位1503-13])の個人コレクションを基に創設され、以後歴代の教皇による寄贈品と、人類が生み出してきた芸術文化の保存を目的として蒐集された美術品および諸施設を含む大規模な美術館である。

1503年、教皇位に就いたユリウス二世が、枢機卿時代の居所であったサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂(ミケランジェロ咲くの「ユリウス二世墓廟」がある)の庭を飾っていたアポロ像をベルヴェデーレ宮に移したのに始まり、エスクィリーノ丘上で発見されたラオコーン群像の収蔵から古代彫刻収集が結実していく。

しかし、この場所は詩神の聖所パルナッソスの庭と同じく”世俗のものよ、近づくなかれ”と銘文が記され、特別な資格をもった文学者、哲学者、芸術家のみが入所を許されたのである、当時、ここへ足繁く通ったのはラファエルロ、レオナルド、ミケランジェロほかヴァティカン宮の装飾に携わった芸術家たちであった。のちにこの古代彫刻の収集には教皇クレメンス七世在位中にクニドスのヴィーナス(模刻)やヘラクレスのトルソ(「ベルヴェデーレのトルソ」)等が加えられた。しかし反宗教改革の主導者ピウス五世(在位1566-72)は古代彫刻を異教の「偶像」と見做し、公開禁止にした。

のちになってクレメンス十一世(在位1700-21)時代に宗教美術館の創設が計画され、ウルバヌス八世在位の1756年に図書館を核とした宗教美術館(Museo Sacro)が設置されるに至り、キリスト教の歴史をその起源から資料的に跡づけることになった。これに伴い、キリスト教に関わりのない古代彫刻などを収蔵する世俗美術館(Museo Profano)が設けられ、ヴァティカンはこれよりのち「宗教」「世俗」の両美術館を擁することになるが、古代美術品がローマから流出することを憂えたクレメンス十四世(在位1769-74)は、新たな美術館を設置して古代美術品の収集に務めた(現在のピオ・クレメンティーノ美術館Museo Pio-Clementino)。

しかし1797年、ナポレオンのローマ侵攻によって多くの美術品がフランスに持ち去られ、ナポレオン失脚後のウィーン会議で返還されることになったのを機に、新たに絵画館(Pinacoteca)を設置し、パリから取り戻されたローマの諸教会、諸修道院の作品をここに収蔵した。これに平行して古代絵画コレクションが公開され(異教美術館)、壁画「アルドブランディーに家の婚礼」も日の目を見るに至ったのである。十九世紀から二十世紀にかけてヴァティカン美術館群は飛躍的に発展・拡大し、エジプト美術館、グレゴリアーノ・エトルスコ美術館、聖遺物館、歴史美術館、現代宗教美術コレクションが設置され、施設としてシスティーナ礼拝堂、ラファエルロのスタンツァ、ニコラウス五世礼拝堂、ボルジアの間などを擁するに至っている。(高草 茂)