北斎は、江戸の下町生まれという土地柄のせいかも知れませんが、なかなか粋なところがありますね。
銭(お金)にこだわっていないというのが、江戸の粋としては分かりやすいでしょう。
宵越しのお金は持たないという江戸の風情や風景もあるように、仕事に困らない毎日の日銭はいつでも稼ぐことが出来たようです。だから、手元にあるお銭(あし)は、その日のうちに気前よく使ってしまえということでしょうね。
風流とか通人という言い方もありますが、これは粋とは少し違います。江戸の粋やいなせ(鯔背)は歯切れがよくなくてはいけないようです。
半端者(はんぱもの)はこれを割り切れない奴という意味です。丁半博打の奇数を挿していて、偶数は割り切れますので半端とは言いませんね。清水の次郎長は、丁にしか賭けなかったといわれ、半端な男ではなかったようです。
この頃(文化文政の頃)の江戸では、威勢のいい男伊達が多く、火消しや職人たちの間で盛んにそういう表現が使われていました。
私事ですが、数年前に「パリのダンディズム」という本を書いたことがあります。
パリの粋な二人を取り上げたのですが、モンマルトルのロートレックとポスターを芸術にしたといわれるミュシャの生き様を書きました。
トゥルーズ=ロートレックは、高級貴族で、モンマルトルにあるムーランルージュのポスターで知られていますが大変な遊び人です。ロートレックのレシピの本があり、色の文化にも貢献した粋な画家です。よくパリでパーティーを開きご馳走を振る舞ったそうです。
またミュシャ(ムハとも言います)は、彼のポスターでこの頃のパリが美しくなったといわれる程売れっ子となり、とても儲かったそうです。
丁度この頃、貧しかったゴーギャン(後期印象派)などは、金に困るとミュシャの処に行っていたようです。
ゴーギャンが、パンツ一枚でミュシャの家のピアノを弾いている写真が残っています。ミュシャは、机の上にお金をばらまいてあり、「好きなように持っていきなさい」といっていたと伝えられています。
お金にこだわらずパリの流行画家の仕事を投げ捨て、故郷のプラハに帰り、スラブ民族のための生涯を捧げた男です。
パリの街は、今でもどこか粋の香りのする街です。そのベースには、粋な伝統を作った男たちがいたのですね。
江戸では、歌舞伎の世界で「助六」や幡随院の長兵衛などが挙げられます。火消しの「め組」も粋な連中として知られています。
北斎もまた金銭にこだわらず、金をつくっては旅をしていましたが、舟を雇い、籠に乗り、弟子を連れた旅にはめっぽう金がかかっていたといわれています。そして「ベロ藍」という青の絵具を外国から取り寄せ絵を描くためにふんだんに使っていました。
無駄口を効かず、無心に絵を描き続けた、中々に「粋でいなせな美の旅人」が北斎ですね。
【続編は今後公開予定】
・【コラム】行動派の旅の絵師、北斎 -常に高みを目指し続け、精進を続けた- / 藤 ひさし
・【コラム】北斎は隠密だったか? - 幕府の危険人物である攘夷派の監視? / 藤 ひさし
・【コラム】『北斎漫画』は名古屋から ー 旅好きな芸術家が世界のアートシーンを動かす / 藤 ひさし