芸術の歴史を紐解くと、代々芸術家を輩出してきた家族がいるのに気づきます。例えば「音楽の父」ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。西洋音楽の基礎を作ったこの大音楽家は、3世紀にわたって40人以上もの音楽家を生み出してきた、音楽一家の生まれです。
美術界の「バッハ家」とも言えるのが、フランドル(現在のオランダからベルギーにあたる地域)のブリューゲル家です。その始まりは、北方ルネサンスの巨匠ピーテル・ブリューゲル(父)(1525-1569)。
彼は、農民の生活や聖書の世界を、時にはユーモアさえ感じられる筆致で生き生きと描きました。代表作『バベルの塔』や『農民の婚宴』は誰もが知る傑作です。幅広い教養と人間性への深い洞察を兼ね備えたピーテルは「大ブリューゲル」と呼ばれ、当時も今も尊敬を集めています。
そのピーテルを始まりとして、ブリューゲル家は4代にわたって画家を生み出してきましたが、中でも最も目覚ましい活躍をしたのが、ピーテルの次男ヤン・ブリューゲルです。繊細な筆致と華麗な色使いが彼の持ち味。
そのデリケートな画風から「ヴェルヴェットのヤン」の異名を持っています。代表作のひとつ「青い花瓶の花」を見れば、それも頷けるというもの。意図的に暗い色で塗られた背景から、色とりどりの花々がまるで浮き上がってくるかのような、はっとさせられる演出は、数多ある花を描いた静物画(花卉画)でも出色と言えます。
当時フランドル地方では、花卉画が盛んに描かれました。その背景には、フランドル人たちの熱狂的とも言える花への愛好があります。当時世界貿易の覇権を握っていたオランダ東インド会社。フランドル地方には、洋の東西にネットワークを張り巡らせた、この「世界最初の株式会社」がもたらす異邦の珍しい花が集まりました。そしてより新奇なものを求めて、花の品種改良も盛んに行われたのです。
やがて花への愛は狂気じみたものへと変わります。世界最初のバブル経済といわれる「チューリップ投機」が国中を熱狂の渦に巻き込んだのです。珍しい球根一つに家一軒の値段がついたというのですから、その尋常ならざる加熱ぶりが伝わります。
このチューリップ・バブルはやがてはじけ経済を大混乱に陥れましたが、一方、その時培われた栽培や品種改良の知識・技術によって、現在オランダは世界の花市場の6割を占めるという「花の大国」になっているのですから、何が幸いするかわかりません。
そんな熱狂的な花ブームの中描かれた「青い花瓶の花」には、中国から到来したものを含む40種類もの花が描かれています。ちなみに瀟洒な青い花瓶も中国の磁器だと考えられています。
ヤン・ブリューゲルは、この作品を手掛けるにあたって、まず花を一輪一輪丁寧にデッサンしました。そのあと一本一本を花瓶に生けるかのように、一枚のキャンバスにまとめたのです。そのため、この作品では実際には同時に咲くことのない異なる季節の花が一つの花瓶に描かれています。異なる表情を見せて咲き誇る花を描き分けるのが、画家の腕の見せ所でした。
また、花を描くことは、単なるブームを超えた深い意味も込められていました。この作品が制作された17世紀のフランドルでは、「ヴァニタス」というジャンルの絵画が盛んに描かれました。「ヴァニタス」というのはラテン語で「虚しさ」の意味。生命の儚さや人間がいずれは死ぬ定めにあることを教訓として描いたのが「ヴァニタス」なのです。
儚く華やかな盛りを見せたあと、散る定めにある花は、頭蓋骨などと並んで「人生の虚しさ」を象徴するものとしてよく用いられました。この作品に咲き誇る花とともに萎れた花も描かれているのには、単なるリアリズムを超えた寓意が込められているのです。
そして、もう一つこの作品をよくみると気づくのが、蝶など昆虫の存在です。東西貿易によって世界中から夥しい数の珍品・奇品があつまったフランドル地方では、蒐集するだけではなく、それを整理・分類することも必要になりました。これがのちの博物学へ発展していったのですが、ヤンが画中に虫を描きこんだのも、そのような時代のメンタリティを彼が共有していたことに他ならないのです。
美しい花の姿を、豊かな色彩とデリケートなタッチで描いた「青い花瓶の花」。キャンバスから立ち上るのは、馥郁とした花の芳香だけではなく、当時のフランドルの豊かな文化の香りでもあるのです。そしてこの作品の出来栄えをみれば、ヤンが幼い頃にこの世を去った父・大ブリューゲルも、きっと息子を褒めたに違いありません。
(了)