コラム

【コラム】クロード・モネ~“睡蓮”に導かれる、奥深き幽玄の世界~

“花”をモチーフにした絵画は、最も身近で人気のあるジャンルのひとつです。どなたでも子供時代に花を前にして写生をしたことがあるのではないでしょうか。ゴッホの『ひまわり』など、数多い花の名画の中でも、もっとも名高いものの一つが、印象派を代表する画家(仏)クロード・モネ(1840~1926)が描いた“睡蓮”の連作です。

睡蓮の池、バラ色のハーモニー

モネは、1899年頃から最晩年に至るまでの25年以上にもわたって“睡蓮”をモチーフにしてきました。その数は200点以上。そのすべてが、パリ郊外ジヴェルニー村の自邸に、自らの手で丹精込めて作り上げた日本風の庭園で生まれました。

ジャポニスムを代表する画家であるモネがの最初の興味は、自慢の庭をくまなく描くことでした。藤棚、池、そして太鼓橋…。愛する日本をイメージして作り上げたこの庭園の中のあちらこちらで、車輪をつけたイーゼルとともに移動しながら、絵を描き続けました。

初期の作品では、“睡蓮”は庭園風景の一部としてその姿を見せています。しかし、次第に太鼓橋や庭園の植物は姿を消し、天候や時間によってその表情を変える“睡蓮”と水面そのものが主役となっていきます。

レオナルド・ダ・ヴィンチや、葛飾北斎に代表されるように、洋の東西を問わず、偉大な画家たちは、水を描くことに挑戦してきました。モネもその系譜に連なる一人。

一瞬たりとも形をとどめない水の姿をいかにしてキャンバスに定着するのか、彼はその難題に没頭します。陽光にきらめく水面、たゆたう睡蓮、そしてその影…。自然の諸相を色彩で表現しようとしたモネのキャンバスは、次第に抽象画のようになっていきます。そんな彼の到達点が、現在、オランジュリー美術館の壁一面を覆っている8枚からなる睡蓮の連作です。

睡蓮、緑の反映

その高さは2メートル。全てをつなぎ合わせると90メートルにもなる、モネの集大成というにふさわしいスケールのこの作品は、二つの大広間に4点ずつが壁一面を覆って飾られています。

そして、展示室に一歩足を踏み入れた誰もが、一瞬にして静謐な光と水の世界に引き込まれます。そこで目にするのは、水面に映る雲や、枝垂れ柳の影。そして主役の“睡蓮”です。光と色彩、そして水のゆらめきが幻想的に響き合うその「作品世界」は、モネが憧れた日本美術の“幽玄”の世界に到達しているかのようです。

モネがこの作品に着手したのは、今からちょうど100年前のことです。自邸に天井の高さが15メートルにもなる専用のアトリエを設け、残りの生涯をかけて、この大作に没頭しました。

しかし、その道のりは決して順調ではなく、視力の低下や、度重なる家族の不幸に悩まされ、一度は作品の完成を諦めかけました。しかし、フランス首相だった友人のクレマンソーらの温かい励ましに見守られながら、独自の美の世界を完成させたのです。

苦闘の果てに生み出された睡蓮の連作。ある画家は、この「睡蓮の間」を“印象派のシスティーナ礼拝堂”と称えました。

ルネサンスの天才ミケランジェロが5年余りの歳月をかけて作り上げた、人類史上に残る大天井画に比された睡蓮の連作は“神なき時代”に芸術と自然へと捧げられた祭壇画と言えるのかもしれません。

光と色彩、そして水の揺らめきが壮大に響きあうシンフォニー。その稀なる美の世界は、今もなお観る者を惹き付け、また多くの芸術家を鼓舞し続けています。

モネ~それからの100年
横浜美術館
2018.7/14~9/24

中川貴文
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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