コラム

世紀末パリを彩った儚き花(前編):アルフォンス・ミュシャ/「ジスモンダ」

フランソワ1世がレオナルドダヴィンチをアンブロワーズ城に招いた16世紀のフランスは、ヨーロッパの中でも芸術後進国でしたが、「ベル・エポック(良き時代)」と呼ばれる19世紀末のパリは、ルネサンス以来の高揚感に溢れ「花の都」「芸術の都」と称されるまでになり、その華やかなパリの街を彩ったのが、ミュシャやロートレックの描いたポスター芸術でした。

特にミュシャは、数々の商業デザインにも才能を発揮して、パリ・モードのトップクリエーターとして大成功を収めます。そんな彼の出世作が、サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスター画です。

ジスモンダ
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」 / image via wikipedia

1894年末、他のデザイナーがクリスマス休暇で不在の中、急な依頼の電話に出られたのが、当時はまだ駆け出しのミュシャだけだった…などとまことしやかな話が伝えられるほど、1895年が明けたパリの街中に貼られた「ジスモンダ」と共に、ミュシャは「アール・ヌーヴォー」の旗手として鮮烈なデビューを果たしたのです。

ポスターは瞬く間に盗まれてしまうほどの人気で、もちろん「ジスモンダ」の興行は大成功でしたが、それだけではなく主演のサラ・ベルナールを世界で初めての国際的大女優にまで伸し上げます。

当時のパリでは、幾度の戦いを経て手に入れた自由と、イギリスで興った産業革命による文明の発展によって、人々は「生きるとは?美とは?」について自ら考え、悩み、そして何よりも人生を楽しんでいました。

そして、貴族のものだった芸術や演劇が自分たちのものになると、アカデミーが支配してきた古典に縛られない新しい価値観を、自ら探し出し、「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」という美術運動が起こります。

その呼び名が日本画の美術商サミュエル・ビングの店先の看板から広がったように、アール・ヌーヴォーは日本の浮世絵に大きな影響を受けています。森羅万象を細密に描き、しかし写実ではなく高いデザイン性と自由な曲線で表現する浮世絵が、当時のヨーロッパに大きな衝撃を与え、ただの流行ではなく、ジャポニスムとして印象派から100年近く続く西洋美術の大きな流れの発端にもなったのです。

後編に続く
世紀末パリを彩った儚き花(後編):アルフォンス・ミュシャ/「ジスモンダ」
国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業「ミュシャ展」

著者:一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター 高柳茂樹

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