「炎の画家」フィンセント・ファン・ゴッホ。明治時代に森鴎外が紹介して以来、日本でも一、二を争う人気の画家です。
燃えるような色彩を特徴とするその画風そのままに、ゴッホの性格も激しいものでした。理想に燃える人間愛を内に秘めながらも、現実ではなかなか人と打ち解けられず、衝突と絶望を繰り返す生涯。不器用な男ゴッホの内面には、いつでも人恋しさが渦巻いていました。
1888年ゴッホが34歳の時、パリでの都会生活に疲れたゴッホは、数少ない理解者の一人トゥルーズ=ロートレックの勧めもあって、南仏アルルに向かいます。
地中海の光とそれが生み出す鮮やかな色彩はゴッホをとても喜ばせました。浮世絵に心酔していたゴッホは、憧れ続けた日本の風景をアルルの地にみつけました。浮世絵には影が描かれていません。南仏もまた、降り注ぐ地中海の光に照らされて真昼には影一つない色彩の王国になるのです。
アルルの景観に刺激されてゴッホの創作意欲は高まります。『ひまわり』、『夜のカフェテラス』など、今では彼の代表作になっている鮮烈な作品は、いずれもこの地で描かれたものです。
しかし、アルルでもゴッホの人間関係はうまく行きませんでした。地元の人たちも、この変わり者とどう接して良いのかわからず、彼らの間に交流は生まれなかったのです。
そんな中、彼を家族のように受け入れてくれる人物との出会いがありました。当時、アルル駅の郵便配達人をしていたジョゼフ・ルーランです。
ゴッホは14歳年上のルーランを、時には良き理解者として、時には優しく包み込んでくれるような父親のような存在として、かけがえのない友人だと感じていました。そして、彼とその家族をモデルにした肖像画を何枚も描いたのです。
そんな一枚が「ジョゼフ・ルーランの肖像」。ゴッホがソクラテスに例えた堂々とした髭をたくわえたルーランの面影を、トレードマークの鮮やかな色彩で描いています。
そして印象的なのが、背景にちりばめられた可愛らしい花々。自然を好んだゴッホは、何よりも花を愛しました。そして、大好きな人を描く時や気分が晴れやかな時には、決まってキャンバスに花をちりばめたのです。
実はこの肖像画を描いた時、ルーランはすでにアルルにはいませんでした。仕事の都合で南仏マルセイユに引っ越したあとだったのです。けれどもゴッホは彼の肖像を描き続けました。いまはもう側にはいない友、ルーランの肖像。
そこには、見知らぬ地で得た友情への感謝と懐かしさがキャンバス一面に花開いているのです。
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