急速に近代都市に変わりつつあった19世紀半ばのパリ。この時代、いち早く現代生活を絵画のテーマとして取り上げ、「近代絵画の父」と呼ばれるのがエドゥワール・マネです。
ルネサンス以降、美の女神ヴィーナスが取ってきた伝統的なポーズで、こちらに挑発的なまなざしを向ける娼婦を臆面もなく描いた『オランピア』。
ヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネの作品を下敷きにして、着衣の男性二人と一緒に全裸の女性が昼食を楽しむ光景を描いた『草上の昼食』。
いまでは、近代絵画の口火を切ったとされるこれらの傑作も、当時は良識をあざ笑う愚作として一大スキャンダルを巻き起こしたのです。
「侮蔑の言葉がぼくに嵐のように降りかかってくる。」非難と酷評の集中砲火を浴びて疲弊したマネは、その喧騒から逃れるためピレネー山脈を越えスペインへと向かいました。
そして、そこで意気消沈した彼に、新しい表現に挑み続ける勇気を与えた作品と運命的な出会いを果たしたのです。スペイン絵画を代表する巨匠、ディエゴ・ベラスケスが残した『道化パブロ・デ・バリャドリード』です。
マネは、無地の背景の中に道化師を描いただけのシンプルなこの作品を、プラド美術館で一目見るなり心を奪われました。「古今の絵画の中で、最も驚くべきもの。背景が消え、空気だけが人物を包んでいるように見えた。」この作品から受けた感銘を、マネは友人に手紙でこう書き送っています。そして、ベラスケスを「画家の中の画家」と讃え心酔するのです。
スペインから帰国すると、マネはこの感動が消えないうちに、すぐに絵筆をとりました。そして出来上がった作品が『笛を吹く少年』です。
なにもない空間にたたずむ鼓笛隊の制服を着た少年。頬を赤く染めたその表情には、まだあどけなさが残ります。上衣や帽子に使われた深みのある黒も、この色を重視するスペイン絵画の美学に触発されたものです。
そして、足元に目を向けると、さりげなく伸びる影と、それに平行して書き込まれたサインが…。マネは必要最低限の工夫で少年が立つ地面を表現し、画面に奥行きをもたらしているのです。
しかし、またしてもこの意欲作はサロン展で落選してしまいます。平板な描き方が「まるでトランプのカードみたいだ」と、批評家の嘲笑を浴びたのです。けれどもこの平板さもマネが意図的に狙ったものでした。
当時のパリでは日本の浮世絵が一大ブームを巻き起こしていました。いわゆるジャポニスムです。
マネも積極的に浮世絵をコレクションし、その表現を熱心に研究しました。赤と黒のコントラスト豊かな色彩対比。まるで輪郭線のように描きこまれたズボンの側線。そして役者絵を思わせる単純化された平面的な画面構成…。いずれもマネが浮世絵から学んだものです。
彼はベラスケスにインスピレーションを受けたこの作品を、より一層斬新なものにするために、西洋絵画とは全く別の美意識を持った浮世絵の大胆な表現をも取り入れたのです。そうして完成した『笛を吹く少年』は、今ではマネが残した最も鋭い一枚とも評されます。
少年の上気したような赤い頬。それは、常に新しい表現に挑み続けたマネの、美への情熱が染めたものなのかもしれません。
【関連画家・絵画】
・エドゥワール・マネ
・ディエゴ・ベラスケス
・笛を吹く少年:エドゥワール・マネ
・オランピア:エドゥワール・マネ
・草上の昼食:エドゥワール・マネ