夢の中にいるような穏やかな景色です。全体を包んでいるのは、静かに抑制された「コロー色」といわれる銀灰色をした独特の霧。幻想的で時がゆったりとながれているようなこの作品は、見るものの気持ちまで穏やかにしてくれます。
この作品が発表されたのが1850年。パリは当時、産業革命でめまぐるしい発展のまっただ中にありました。暮らしが豊かになる一方で、街は都会の喧騒に飲み込まれていくようになります。
そんな中で人々が求めたのがコローの描く、穏やかで美しいフランスの田舎の景色だったのです。わずかな葉のざわめき、青空をたゆたう雲、彼方にきらめく水面の穏やかなゆらぎ・・・描かれたのはフォンテーヌブローやバルビゾンの森など、フランス人の原風景。彼は若い頃からヨーロッパ各地に写生旅行へでかけ、自然への愛と憧憬を深め、この景色にたどり着いたのです。
そして愛すべきフランスの田舎の景色の中にニンフ(妖精)を遊ばせ、コロー色の霧で包んだ作品は「空想的風景画」といわれ、詩のように情緒的な風景は経済成長の激しい波に疲れたパリの人々の心を癒しました。
この作品や同じ空想的風景画といわれる『モルトフォンテーヌの思い出』(1864年/ルーブル美術館)は、サロンに出品されると国家が買い上げるなど、フランス中が彼の描く風景に魅了されました。絵画の世界ばかりではなく、ファッション界でもコロー色が流行したほど、フランスの人々はコローに心酔したのです。
そして風景画の先進国であるオランダから遅れること2世紀。コローの登場がフランス風景画黄金時代の幕開けを告げました。自然を見つめて作品にしていくことに人生を費やしたコローは、刻々と姿を変えていく自然を前にして瞬間を大切にしました。
コローはこんな言葉を残しています。
「自然は嫉妬深い恋人だ。彼女から離れるのは危険だ。なぜなら、次にはもう会ってくれなくなるからである」
コローは自然と同じように、人との関係も「その瞬間」を大切にしていたのかもしれません。彼は、弟子たちに自作を模写させたり、下手な絵に加筆をしてやったり、売れるようにとサインを入れてやったりもしました。
そんなコローを慕った後輩の画家たちの中に、ルソーやミレーやドーミエなどがいて、バルビゾン派としてフランス風景画の黄金時代を築きあげたのです。彼らの作品の中にはコローからの影響も見られ、後の印象派にまで及んでいます。
フランス中を席巻した風景画。その根底にはコローの風景画の血が流れているのです。そして、それは国を超え、時代を超えて、どことなく窮屈でささくれだったような現代日本に暮らす私たちの心さえも、銀灰色の霧で優しく包んでくれています。