多彩な江戸の絵師北斎は、膨大なデッサン、デザインを残しています。
旅の絵師である北斎は、自然の中から幾何学的な図形を正確に見つけ出すことが出来たのでしょう。
ルネッサン期のレオナルド・ダ・ヴィンチの約六千枚の手稿の中にもそれを見ることが出来ます。ダ・ヴィンチと北斎は似ていることがあるというのはどうでしょう。『北斎漫画』の中にも、明らかに絵の手本としてデザインの描き方を残しています。
このことは、印象派のドガやロートレック、そしてアール・ヌーボーのエミール・ガレなどが実証しています。
特にガレは、ガラス芸術としての一人者ですが、北斎の鯉をガラスにそのまま埋め込みましたね。灰皿にも壺にもトンボや蛙を貼り付けました。ガレの芸術は、北斎のデザインを取り込むことによって頂点に登りつめた、といっても過言ではありません。
北斎の描く虫や蝶はデザイナーにとって大きなヒントであり、活かして使いなさいといっているのです。
勿論、北斎はデザイナーとして、江戸の小物の花形である女性の櫛を一冊の本として出せるほど描き残しています。煙草のキセルもたくさんのデザインを描いています。着物の柄も、型紙として数十種のものを残しています。しかもこれらのデザインを手本にしなさいと残しているのです。
北斎の描いた『画本彩色通』という絵手本を二編も出し、ぬり絵の色の付け方さえ教えているのです。江戸時代の奇妙な教育者は、西洋の絵描きたちまで教育しているのです。
結果としてですが、日本では、デザイナー北斎と呼ぶ人はあまりいません。そのことの方が不思議なことです。
情報化時代の今、日本人の美意識は、北斎によって形成されているのだと大いに発奮することはとても大切なことですし、とっても楽しいことだと思います。
今から250年前の江戸時代に、北斎という超人的な天才絵師がいた、そう思うととても素敵な日本人として誇れるような気持ちになります。
シーボルトが死ぬときに語った「世界で一番平和で美しい国」といわれた日本。ほんとうにそうなのかもしれませんね。
いや、かつては、江戸の頃の日本は、素敵な国だったのです。
北斎という江戸の老人絵師は、「花咲か爺さん」というのはどうでしょう。
旅をして、子どもたちにも、弟子たちにも、武士たちにも彼は花を撒き散らしていたのです。それは花の種であったかもしれません。次世代に咲くことのある種だったのでしょう。
そして250年経った今、私たちはその花を見ている、そんな気持ちになったりしますね。
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