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「栄光のスペイン・ハプスブルク家最後のきらめき:ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス(女官たち)』(プラド美術館所蔵/1656)

「「栄光のスペイン・ハプスブルク家最後のきらめき:ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス(官女たち)』(プラド美術館所蔵/1656)」

印象派の父(仏)エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と称えた、スペイン最大の巨匠にして、ヨーロッパ美術史上最大の画家の一人、(西)ディエゴ・ベラスケス(1599~1660)。縦横約3mの大作『ラス・メニーナス(女官たち)』(プラド美術館/1656)は、美の殿堂プラド美術館が誇る屈指の傑作です。

女官たち

ラス・メニーナス』に描かれているのは、王女マルガリータを中心に集まった女官たちの姿。人物が等身大で描かれたこの作品を前にすると、当時の王宮内に招かれたような不思議な感覚になる、魔法のような一枚です。17世紀の宮廷の空気を今に伝えるベラスケスは、芸術を愛したスペイン国王フェリペ4世の宮廷画家として『ラス・メニーナス』以外にも宮廷に生きる人々の姿を数多く残しています。

中でも、王太子バルタサール・カルロスを描いた『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』(プラド美術館/1634-1635)は、人気の名画です。右手に指揮棒を持った王太子は当時まだ5~6歳。それでも、前足を挙げた奔馬を操る凛々しい姿で、国民を統率するリーダーのイメージを見事に表現しています。

ヨーロッパ絵画において、騎馬像は古代ローマの皇帝像に由来する、王侯貴族の肖像画の定番スタイルなのですが、前足を挙げた馬の姿をリアルに描くのは容易ではなく、画家の力量が試されるテーマでもあります。

それをベラスケスは、はち切れんばかりの筋肉や、つややかな毛並みを描いてみせて、馬のいななきまで聞こえてきそうな真に迫った描写で、観る人を魅了します。

なかなか男の子に恵まれなかったフェリペ4世にとって王太子バルタサール・カルロスは待望の世嗣ぎでした。その期待と喜びがいかほどだったのかは、王がこの作品以外にも息子の肖像画を何枚も描かせていることからもわかります。

しかし王の期待も虚しく、王太子は16歳という若さではかなくもこの世を去ります。そして、その不幸がきっかけになったかのように、長い権勢を誇ったスペイン・ハプスブルク家も衰退の道へと向かっていくのです。

芸術をこよなく愛したフェリペ4世が統治した17世紀のスペインは、文化のあらゆる分野で他のヨーロッパ諸国を圧倒する成果を残しました。

絵画の世界だけを見ても、ベラスケスを始め、(西)ムリーリョ・バルトロメー・エステバン(1618~1682)、(西)フランシスコ・デ・スルバラン(1598~1664)、(西)ホセ・デ・リベーラ(1591~1652)など、いまでもスペインが世界に誇る巨匠たちを次々と輩出しました。そして後世の人々は、その輝かしい時代を「スペイン黄金の世紀」と名付けたのです。

海外貿易の覇権を握り、繁栄の絶頂にあったスペイン王国は世界中に植民地をかかえ、文字通り「日の沈まない国」でした。しかし、政治に手腕を発揮しなかったフェリペ4世の治世の頃から、その栄光に陰りが見え始めます。とはいえ、王は芸術の目利きとしては間違いなく当代一流でした。その鑑賞眼を武器にしてヨーロッパ中から2000点もの絵画を蒐集したと言われています。

フェリペ4世は、同じく芸術を愛したイングランド王チャールズ1世が亡くなると、すかさずその素晴らしいコレクションを手に入れました。美術に対する王の目ざとさがよくわかります。

またフェリペ4世の目利きは収集にとどまりませんでした。王は、同時代の画家の才能を見抜いて自分好みの作品を制作させたのです。その最大の画家こそ巨匠ベラスケスでした。

宮廷画家として王宮に自由に出入りすることができたベラスケスは、身分を問わずそこに集う様々な人物を描きました。中でも彼が好んで描いたのが宮廷道化師の姿です。屈託のない表情をこちらに向ける少年を描いた『バリェーカスの少年』(プラド美術館/1635-1645)も、その中の一枚です。

この少年は、王太子バルタサール・カルロスの良き遊び相手でした。足を伸ばしてくつろいだ様子をみせる少年を描くベラスケスの筆も、どこかのびのびとしているように感じられます。

ベラスケスは決まりごとの多い王侯貴族の肖像画よりも、あどけない市井の少年や、道化師たちを描くときに、より一層持ち前の観察眼と自由な筆さばきを発揮しました。王も道化も分け隔てなく同じ人間として描く優しい目線がベラスケスの魅力になっています。

道化師フアン・カラバーサス

それは道化師を描いたもう一枚の作品『道化師フアン・カラバーサス』(プラド美術館/1639以前)にも見て取れます。抜け目なさそうな視線をこちらに向けるフアン。一瞬の表情を見逃さないベラスケスの眼の確かさが光ります。そして大胆なタッチで描かれながらも真に迫るレースの描写には、天才ベラスケスの真髄が光っています。

当時のヨーロッパの宮廷に道化師は欠かせない存在でした。スペインの王宮にも、150年の間に120人以上の宮廷道化師がいたという記録が残っています。道化師たちは王たちを楽しませるだけではなく、時には政策に関するアドバイスをすることもありました。

彼らは道化というその特殊な存在のゆえに、側近が直接言えないことさえも、王に直言できるというユニークな立場にいたのです。そんな宮廷道化師たちの自由闊達な精神を、ベラスケスの筆は余すところなく伝えています。

宮廷道化師の姿は、冒頭にご紹介した、ベラスケス宮廷画の集大成でもあり、畢生の傑作『ラス・メニーナス(女官たち)』(プラド美術館/1656)にも描かれています。画面右側に描かれている、犬に足を乗せた少年とずんぐりした女性です。

絵の中で、二人は華奢な王女マルガリータの姿を際立たせる役割を果たしています。しかし引き立て役とはいえ、彼女たちの佇まいは人間性に満ちています。ここでも、現世的な身分を超え人間そのものとして二人を見つめるベラスケスの人間味が発揮されているのです。

フェリペ4世は、スペインに美の黄金時代をもたらしました。けれども王がなくなると、バルタサール・カルロスの死の15年後に生まれた後継のカルロス2世を最後にスペイン・ハプスブルク家は断絶します。そして17世紀にスペインが誇った「日の沈まない国」の称号は、海を渡ったイギリスのものになるのです。

ベラスケスが永遠のものとしたスペイン王宮の人々。そのまばゆいばかりの輝きは、消えゆく蝋燭の最後のきらめきだったのかもしれません。

【関連イベント】
プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光:2018年5月27日(日)まで

中川貴文
一般社団法人日本美術アカデミー クリエイティヴ・ディレクター/構成作家

(参考)使用作品
1)ベラスケス『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』(「プラド美術館展」出品作品)
2)ベラスケス『バリェーカスの少年』(「プラド美術館展」出品作品)
3)ベラスケス『狩猟服姿のフェリペ4世』(「プラド美術館展」出品作品)
4)ベラスケスラス・メニーナス(女官たち)』(「世界の美術館」収録作品)
5)ベラスケス道化師フアン・カラバーサス』(「世界の美術館」収録作品)
6)スルバラン無原罪のお宿り』(プラド美術館蔵 「世界の美術館」収録作品)
7)スルバラン『聖母マリアの少女時代』(プラド美術館蔵 「世界の美術館」収録作品)
8)リベーラマグダラのマリア』(プラド美術館蔵 「世界の美術館」収録作品)」