コラム

【コラム】300年の闇から燦然とよみがえった巨星 ジョルジュ・ド・ラトゥール/「大工の聖ヨゼフ」

大工の聖ヨセフ

「夜の画家」「ろうそくの画家」と云われるジョルジュ・ド・ラトゥールの代表作です。

多くの画家たちが目に見える世界、とりわけ光をキャンバスに描き映そうとしてきた中で、内側から発する光、すなわち光源(ろうそく)を画面に描き込むという斬新な方法と、そこにかざした少年の透き通る掌の丁寧な描写に「静けさ」という音さえ聴こえてきそうです。

さらに、バロック絵画の特徴でもある「少年と老人」「光と闇」の劇的な対比や、細密に描かれた美しすぎる静物から感じ取れる独特の緊張感や静謐な空気感に、まるで絵の中に吸い込まれそうになります。画面中の少年はあまり描かれることのない幼少期のキリストで、大工である父ヨゼフが作っているのは、後にキリストが磔にされる十字架だというのです。少し背筋が寒くなりそうなお話しではありますが、これはラトゥールが暮らしていたロレーヌ公国(現在のルクセンブルク付近)で盛んだった聖ヨゼフ信仰に由るものだそうです。

今ではウジェーヌ・ドラクロワ、ニコラス・プッサンと並んでフランス人に最も愛される画家の一人であるジョルジュ・ド・ラトゥールですが、17世紀当時からルイ13世の寵愛を受けて工房を構えるほど活躍していたにもかかわらず、1915年に再発見されるまで実に300年以上も歴史の闇に隠れていました。

その理由の一つは、大国ドイツとフランスに挟まれたロレーヌ公国の歴史。ほとんどの絵が戦火のために消失してしまったのです。そしてもう一つは息子の裏切り。人気画家となったラトゥールは、新興貴族の女性と結婚して貴族の仲間入りを果たすのですが、生まれた時から貴族として育った息子が、父親の職業(画家)を嫌い、その事実を隠ぺいしてしまったのです。

1915年以前、絵画の黄金期と云われるバロック期を代表する画家がいないという事は、既に芸術の都を標榜していたフランスの美術関係者を不機嫌にしていたに違いありません。実際にバロック期のフランス画壇は、ニコラス・プッサンを中心とした古典美術が君臨していた上に(プッサンも実際はローマで活動していました)太陽王ルイ14世が現れるまで内乱が続き、少なくとも美術に関してはヨーロッパの中でも「時代遅れ」であったのですから、今ではフランス最大の画家として君臨するラトゥールの出現に、きっとフランス中が喜んだに違いありません。

ジョルジュ・ド・ラトゥールの作品
いかさま師
大工の聖ヨゼフ

著者:一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター 高柳茂樹

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