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【コラム・後編】「パステル色のプライド」 エドガー・ドガ / 「アイロンをかける女たち」

アイロンをかける女たち

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踊り子を好んで描いたエドガー・ドガですが、その他にも競馬場の馬の絵や、街で暮らす人々も多く描いています。晩年にはパステル画を好み、踊り子の彫刻も習作しています。この数々のテーマをドガが選んだ理由は、偶然や気分ではなくて、幸せと不幸せが同居するドガの人生と寄り添う必然であった気がするのです。

オペラ座でのバレエ観賞も、競馬も、当時のパリでは富裕層の嗜みで、新興ブルジョアの家に生まれたドガだからこそ、それらの題材に触れることができたといえます。また、「踊り子」や「馬」の一瞬の動きを描けるのも、新古典派の巨匠アングルの流れを汲む官立美術学校で学んだ、卓越したデッサン力があってこそなのです。

一方で、ドガは若いころに眼を患い、強い光を苦手としていました。屋外での創作に励む印象派のルノアールとモネのように、同じ風景を描き、空気や時間を共有し合うことができないという物理的な原因や、精神的なコンプレックスが、後に印象派との軋轢を生む原因になったような気もします。

そして、サロン展に入選(ドガはサロン展で一度も落選したことがありません)するくせに、その権威主義に反発し、カフェ・ゲルボアで印象派の画家たちと芸術論を交わし、印象派展にも頻繁に参加するのに、仲間にされることは嫌う、へそ曲がりで皮肉屋のドガは、実際に画家仲間にも疎まれていました。そして「アイロンをかける女たち」からも「なんでそんなところを描くんですか!」と不機嫌な声が聴こえてきそうです。

生活の中で人々が気を抜いた「その」一瞬を描くドガの皮肉な絵の数々は、今では洒脱に感じられるますが、もちろん当時はほとんど売れません。むしろ実家の経済的なバックアップのあるドガは、自分の絵を売る気さえなかったのかもしれません。しかし、兄弟の事業の失敗で、実家が多額の借金を背負ってしまい、家だけではなく、自分の絵まですべて売り払わねばならなくなります。

絵を売らねばならなくなったドガは、ガス灯や屋内の仄かな灯りをパステル画でドラマチックに描きます。負債返済のためにたくさんの絵を描き、売らねばならないドガにとって、絵具よりも制作に時間のかからないパステルは、好都合の画材であっただけではなく、既にかなり衰えていた視力に、パステルの鮮やかな色調が大きな助けになっていたのだと思います。もちろん、一気にいくつもの作品を描き上げられた大きな要因は、卓越したデッサン力であることは間違いありません。

ドガの死後、デッサン用に作成したと思われる、大量の踊り子や馬の彫像が発見されました。生涯未婚で、親しい友人もなく、ほとんど眼の見えなくなったドガは、最後まで創作への執念を絶やさず、大好きなパリの街を独りで彷徨いながら亡くなります。

死後120年には、オペラ座がドガのために、ドガの彫像をモチーフにした「14歳の小さな踊り子」というバレエ作品を上演しました。絵と同じくらいバレエを愛したドガが生きていたら、皮肉を忘れて、きっと子供のように笑ったに違いありません。

エドガー・ドガの作品
アイロンをかける女たち
青い踊り子たち
スター、舞台の踊り子
若い女の肖像

著者:一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター 高柳茂樹