写実主義の巨匠クールベは、1871年、パリ・コミューンに関わったため投獄され、翌1872年にはスイス国境に近い郷里オルナンへ戻ったが、再び逮捕の危機が迫ったためスイスへと逃れることとなる。
かなり粗いタッチで描かれたこの少女像は、画面の「クールベ、フリブール、1872年」という署名を信ずるならば、オルナンへ戻った年にスイスのフリブールで制作されたものである。
解説:有川 治男(学習院大学 教授)
写実主義の巨匠クールベは、1871年、パリ・コミューンに関わったため投獄され、翌1872年にはスイス国境に近い郷里オルナンへ戻ったが、再び逮捕の危機が迫ったためスイスへと逃れることとなる。
かなり粗いタッチで描かれたこの少女像は、画面の「クールベ、フリブール、1872年」という署名を信ずるならば、オルナンへ戻った年にスイスのフリブールで制作されたものである。