アムステルダム国立美術館
オランダ アムステルダム
アムステルダムは縦横に運河が流れ、道を縁取る並木の緑と水の反映がまるで田園の中にいるような安らぎを与えてくれる町である。煉瓦(れんが)造りの趣きのある中央駅の前から市電に乗り、古い町並みを残す中心街を抜けると、やがて駅とよく似た外観の美術館の姿が見えてくる。破風を戴いた玄関の左右に2つの塔がまるで中世の教会のようにそびえ、煉瓦作りの壁はいかにも温かい肌触りを感じさせる。このネオ・ゴシック様式の建物は中央駅と同じくP.J.H.カイペルスの設計になるもので、1885年に落成した。
アムステルダム国立美術館の歴史は1808年4月21日、オランダ王となったルイ・ボナパルトが創設した王立美術館にさかのぼる。王宮として用いられていたかつての市庁舎に収められたのは、フランスに持ち去られずに残っていたオラニエ公ウィレム五世の所蔵品を中心とした225点の絵画であった。
また、アムステルダム市は7点の絵画を寄贈し、その中にはレンブラントの『夜警』や『布地商組合の見本調査官たち』が含まれていた。以後、国と市当局の協力のもとに収蔵品は豊かなものとなっていく。1809年、最初の所蔵目録が館長アポストールによって刊行された。
1814年にフランスの占領時代が終わると、国王ウィレム一世により、コレクションは王宮から17世紀に建設されたトリッペン・ホイス(トリップ邸)に移されることになり、名称を国立美術館と改めて1817年に一般公開された。『夜警』を展示した4回の大ホールは、レンブラント・ホールと名付けられた。
1885年の新しい国立美術館の完成に伴い、アムステルダム市から貸し出された多くの作品、ファン・デル・ホープ遺贈の224点の絵画(レンブラントの『ユダヤの花嫁』とフェルメールの『恋文』を含む)も収蔵品に加わった。以後、レンブラント協会などの努力もあって、オランダ以外の地域も含めて数多くの作品が購入される。
当美術館の珠玉の名品、すなわちオランダを中心とする15-17世紀の絵画は、2階の61室に作者別およびジャンル別に展示されている。また、彫刻・装飾芸術・18-19世紀の絵画は1階に展示され、世界有数の素描・版画のコレクションを有する版画室も同じく1階にある。どの作品もじっくりと味わうことができるように、証明にも陳列にも十分な配慮が行き届いている。(荒木 成子)